2011年5月17日火曜日

東日本大震災は津波災害と地盤災害そして原発事故

地盤が割れて傾く仙台つどいの家
荒浜海岸から約3㌔、津波を冠った竹は茶色に枯れている
4月12日夕方、小雨降る中車から被災地を撮る。仙台つどいの家の下郡山施設長のご主人が若林区の民生委員をされていることもあり、車で荒浜から閖上、名取港へと連れて行ってもらう。二ヶ月経っているのに、あまりの状況に声も出ない。
車から下りると、雨と潮風と野焼きのにおいがする。
車中、いろんな話を伺った。

 大津波 
海岸から堤防を超えて、まず頑丈な貞山堀(ていざんぼり)で一度弱くなり、仙台平野から東部道路でせき止められた。しかし、ガードの下をくぐって更に先に進んでいった。

 生死を分けた奇跡
とにかく車で逃げたという男性。が、そのうち津波に追いつかれ、のまれて車から放り出された。津波の中は泥。泥の中でみたものは...人間が絡み合いながらだんごになって流されていく姿。気を失い、気がつけば頭だけ泥の地面から出ていた。やっとのことで這い上がり、家を探して歩き、たどり着く。家族は泥の姿で最初は気づかなかったが、ご主人だとわかる。身体にまとわりついている髪の毛をみて、これはただごとではなかったんだと奇跡的な生還を喜んだ。下郡山さんはその後、さらにお話を伺おうとその男性を訪ねたが、精神的に錯乱して話せる状況ではなかったとのこと。

 津波や原発を思うと地盤のくずれはまだまし?!
仙台市のなかでも仙台つどいの家がある南光台は、仙台西断層が走っているとかで特に地盤の崩れがひどい。しかし、広範囲の災害と津波や原発の深刻な状況があるために、地盤災害はがまんせねばと思わされている。30年ほど前に開発造成した会社は倒産し、責任をとれる状況ではない。しかし、なんらかのことをしてもらわないと個人の家も施設もどうもできない。

高速バスに乗って、タイムスリップしてきたような感覚が今でも残り、あまりにも悲惨な場面が正直いって頭から離れません。やっと選挙後の残務をやり終えなければと思うようになりました。

海岸から2㌔あたり。水田のところどころに重機で集められたがれきが山積している

津波をせき止めた東部道路


電線のない鉄塔と同じ方向に倒れたままの電柱


堤防の向こう側は荒浜海岸

名取港の近くには数隻の船がまだある


長浜の松は無惨な姿に
建材を運ぶフェリーが着く名取港、2階以上は津波でえぐるようになくなった
道の両脇には住宅やお店があったに違いない
はかりしれない津波の威力だ
重機が足りず撤去が進んでいない
車も農機具も津波で流され、だんごのように丸くなっている
三隻の船がそのまま

2011年5月11日水曜日

「つどいの家の記録」より&身体のケアは心のケア

11日 午前午後とも資料整理
「つどいの家」開設準備からの貴重な資料も発見。
重度障がい児・者も豊かに生きる権利があると運動を築きあげてきた歴史を目の当たりにし、当時の家族の思いに触れ、胸が熱くなる。
一部を紹介します。(他への無断転載はしないでくださいね)

つどいの家の記録
母と子がいきいきと生きるために
仙台市重症心身障害児(者)を守る会  昭和58年2月20日発行

圭子
「鉄の肺」で生命を得た
圭子だったけど
重い障害児になるんだからと
誰にも好かれる子に
ならなければだめよ と
そればかり 言いつづけて

かあちゃんは
お前を 育ててきた・・・
誰にでも温和な安堵を
与えることに
精一杯の圭子

何事もただ頬笑んで
受け入れてしまう 圭子

決して「いや」と
いわなくなってしまった
やさしい圭子に
いま
かあちゃんは 深くわびるしかない
(原文のまま)

現在圭子さんは、ご両親が運動で開設された施設に入所。お父様は亡くなられ、お母様は併設されている高齢者施設で暮らしています。
つどいの家で最年長の圭子さんは、絵本を読み、編み物をし、布ボール用のウレタンちぎりの仕事もするなど積極的に活動を楽しむ毎日でした。今のつどいの家の活動なら、当時よりもっと生き生きと過ごしていると思うのですが・・・

夕方、職員さんむけに簡単なフットケアのにわか講習会
綿棒を使っての爪のマッサージは好評でした。
震災後2か月経ち、職員さんも利用者さんや家族も疲れがだいぶたまる頃。
身体のケアは心のケアなのよ・・・昔の職員からのメッセージ
いろんな活動の場面で試してみてねと、職員さんに体験してもらいながらのなごやかなひととき。笑顔がやさしい職員さんばかりでした。

はやくも明日でお別れです・・・

2011年5月10日火曜日

東日本大震災、宅地被害への公的支援が必要に

仙台つどいの家



造成した盛土が写真左側の沢に滑り地割れ発生
高台に仙台つどいの家がある



余震で天井崩落
9日から12日までの予定で、仙台つどいの家でボランティアをしています。

8日夜7:30大阪発の高速バス出発
9日朝8時前に仙台到着、駅前ミスドで軽く朝食
市営地下鉄とバスで9時頃つどいの家に到着

園庭での職員打ち合わせに間に合い、挨拶してさっそく義援金と靴下などを渡す。下郡山和子施設長が最初の職員と紹介してくださり、照れてしまう。
(29年前、無認可のつどいの家は、利用者10名、施設長と職員1名でスタート。現在は市内7箇所の施設と生活支援、相談事業やレスパイト事業などで、職員180名にも及ぶ。)

午前は、下郡山施設長から、施設内と周辺の被害の説明を聞きながら歩いてまわる。
施設がある南光台あたりは、地すべりや地割れ、液状化とその影響で傾く家や亀裂が走り住めないなど避難区域に指定される場所もあるなどかなり深刻な状況。
施設長は「津波の被害があまりにも深刻で、このあたりの被害は大きくてもほとんどニュースにとりあげられない。でも大きな余震でも起きれば、かなりの被害になるかも」
建物被害だけでなく、宅地被害への公的支援が今後必要だ。

午後は、過去の資料整理(なんと、私の初任給の給与支払い証明書や市への手書き要望書まで出てきて、29年前にタイムスリップ)
夜は、レスパイトの宿泊棟に利用者さんと支援員さんと3人で枕を並べて寝る。

10日
朝5時ごろ震度1の余震あり。ドキッとして目が覚める。
雨が降ってたらしいが、開所時間の9時には晴れてさわやか。
今日は利用者さんとバスに30分乗り、若林区のつどいの家へ。
懐かしいTさん、Tさん、Nさん、Kさんに会う。
口癖も、しぐさもみんなちっともかわっていない。いいえ、ちょっとお互い白髪が増えたかな・・・
同年代なので、同窓会のよう。

午後仙台つどいに戻ってから、市役所の日本共産党仙台市会議員団へ。
福島議員団長、辻畑事務局長と被害の状況や懐かしい話をしている中でも、花木議員、高見議員は当局へ出かけ、嵯峨議員、ふなやま議員も忙しそう。
東部沿岸の水田2,100ヘクタールのうち約9割の1900ヘクタールが津波の被害を受けて、またできるようになるには最低5年かかるそう。
帰り際に、逆にお土産をいただく。

夜は、施設長と近くのイタリアンレストランでパスタをご馳走になる。
なつかしい話に花が咲きっぱなし・・・
今晩はレスパイト利用なし。宿泊棟にひとりで泊まる。

2011年5月8日日曜日

芦屋から仙台にたくさんの思い届けてきますね

今晩、大阪発高速バスで出発予定です。
日本共産党芦屋後援会の方、ママ友のみんなに呼びかけたら、多くの方が義援金に協力してくれました。
写真は、先日ブログにのせた90歳のおばあちゃん手作りの靴下10足とアクリルたわしです。
「こんなおばあちゃんが作ったものだけど、むかし神戸空襲でなにもかもなくした時に、親戚やいろんな人に食べさせてもらってお世話になったの。遅くなったけど、これでそのお返しがやっとできるわ」そう言って私に託してくださったものです。車いすを利用されている方に使ってもらおうかと思ってますが、気に入ってもらえるでしょうか。
阪神淡路震災の時、仙台のうたごえの店「バラライカ」の方々が、神戸北区の仮設住宅でコンサートをしてくださいました。呼びかけたのは、私も入っていた新日本婦人の会神戸北支部。
藤原台の仮設住宅内の集会室で、子どもや大人が楽しく過ごしました。今度はそのお返し、そう言ってお願いにまわったら、たくさん協力してくださいました。
「仙台つどいの家」には、義援金10万円と靴下など届けてきます。
仙台の様子など伝えるためにノートパソコン持参しますが、うまくいくでしょうか...
では、そろそろ出発です。

2011年5月6日金曜日

「こどもの日」の宣伝行動

選挙後、駅頭や地域で宣伝していると「選挙ご苦労さん」「3人揃って良かった」など声をかけていただき、元気をいただいてます。

今日は「こどもの日」
特に今年は、被災地での子どもたちのいのちと暮らしを守るために私もがんばらなきゃと、2か所で後援会の皆さんと宣伝行動。
「被災地の避難所では、赤ちゃんはじめ子どもたちが2ヶ月近く暮らしていて限界です・・・」とマルハチ前で話していたら、
選挙中にお話したことのある91歳のおばあちゃんから
「おめでとう、よくがんばったわね」と励ましてもらいました。
さらにおばあちゃんは、「私の人生はいいことがなかった。戦争と2度の震災で、結婚するはずだった4人の男性はみな次々と戦争で死んで、結局私はひとりのままよ」と。これまでの91年間をさらりと話されましたが、子どもに日には特別に考えるところがあるのかもしれません。

子どもの笑顔のためなら、大人はがんばる!
子どもたちの笑顔が曇らないように、医療や保育、教育の充実のためにこれからも取り組んでいかなければ。

おしらせ
いのちを生みだす母親は いのちを育て いのちを守ることをのぞみます
第35回 芦屋母親大会
2011年5月29日(日) 13:30~16:30
芦屋市民センター401号室

13:30~さくらんぼ合唱団、芦屋の民話
14:30~講演「希望の未来と地球を子どもたちに」
今こそ、いのちをはぐくむ土台づくりをみんなですすめましょう!
講師:小川嘉憲さん 元西宮市中学校教師 元関西学院中学講師、兵庫県地球温暖化防止活動推進委員、コープこうべ環境学習ボランティア、著書「優しい学校はいかが」文芸社「輝く笑顔ふたたび」清風堂ほか
参加費:500円
主催:芦屋市母親大会実行委員会 後援:芦屋市 芦屋市教育委員会

2011年5月5日木曜日

「仙台つどいの家」被災で資金不足、梅雨をどう過ごすか

重い障がいがあっても、その人の思いを実現しながらその人らしく地域で住み続けられることにこだわる・・・29年前、仙台の東北福祉大学で障がい児教育を学んでいたときに出会った「仙台つどいの家」施設長下郡山和子さんの言葉。
描いた夢は必ず実現させる・・・そんな情熱的な生き方に多くのことを学びました。
卒業後すぐにつどいの家に就職。重い障がいのある子を育てながら、運動されている下郡山さんはじめお母さんたちは底抜けに明るく、頼りない私を指導員というよりは、娘のように受け入れてくれました。
「仙台つどいの家」は誰もがつどえる場所でした。今もきっとそうだと思います。
当時は法人化にむけての活動、訓練と作業や療育の取り組み、資金づくりのバザーなど親の会も職員もボランティアもみんながつどい、居場所づくりとしての熱いものがありました。

その施設が、3.11の大震災で大変被害を受けている。どんなにか大変だろうかと思うと30年ほどもご無沙汰していたのに気持ちは落ち着きませんでした。
各施設が大きな被害を受け、資金不足で大変だと。
電話連絡したその日、高橋ちづ子衆議院議員と福島かずえ仙台市議が調査にきたとお話を伺い、なんと次の日の赤旗には、調査の記事が掲載されてました。(詳しくは5/3付)

4/7の余震では、天井が崩落した施設もあり、梅雨を前に工事が急がれる
震災で休所したため、障害者自立支援法のもとでの日額払いの支援費では資金不足
地盤被害に対する支援制度がないなど再建には多額の費用がかかる
記事を手にカンパを訴え、現在集まりつつあります。出発するまで頑張りましょう。
ご協力いただける方は、ホームページをご参照か下記まで

「仙台つどいの家」支援のための義援金のおねがい
七十七銀行 沖野支店 普通預金 9121552
社会福祉法人 つどいの家   理事長 下郡山徹一
連絡先:℡022-781-1571  FAX022-781-1572

5.2芦屋たそがれメーデー

下書きのまま2日が経ってしまって、書き終えたのは4日ですが...
1日遅れの芦屋たそがれメーデー。
今年は3人揃っての参加でした。
会場からの一言で、市職員の石巻市炊き出し報告には胸が詰まりました。
東北の人はホントに厳しい生活の中でがまんしながらも、ボランティアをやさしく受け入れて頑張っている と。
被災地には第6陣の市職員が派遣されています。

年金者組合の皆さんの手作りランタンで、JR芦屋までデモ行進。あたりは薄暗くなって 、ろうそくの明かりがとってもいい感じ。
住民の立場での被災地復興を!平和憲法守れ!雇用を守れ!
でも今年はまさかの自粛か、シュプレヒコール無しのデモ行進。道行く人には、なんの行進?!って感じでみられました。

2011年5月2日月曜日

「災害に強いまちづくり」のために

すでに木野下さん、平野さんのブログに紹介されていましたが...
シーサイドダイエー前の宣伝なので、私も。

先日も今日も偶然出会ったMさんから、力強いご意見いただきました。
「災害に強いまちにしていくためには、森さんの言ってたように消防職員をきちっとおいとかなあかん。これ以上職員を減らしたら、災害の時責任もって仕事する人がおらんようになる。」「行革で職員減らして、消防の職員も増やさないとは...日本共産党の話は良かった」
地域でお世話活動をされているMさんだからこそ、災害の時にはどうするのか具体的な対策を選挙公約に求めていたのでした。
今後おきるであろうといわれている南海地震に対しても、液状化や津波対策については、最悪の場合を想定しての専門家や地域の意見を組み込んでいく必要がある...そう訴えてきた以上はしっかりと今回の大震災や原発事故での教訓を勉強していかないと。

被災地では、連休中はボランティアの対応にも大変との様子。
しかも連休明けには、大学生や高校生のボランティアが激減するそうで、また大変と河北新報にありました。
ボランティアに行く予定の「仙台つどいの家」では、とにかく施設の補修費や運営費に困っているとのこと。私も義援金の協力を多くの方にお願いしながら、連休明け行く予定です。

2011年4月27日水曜日

3人の芦屋市会議員団で頑張ります!



これまでの1期4年間は、無我夢中でやってきました。
その活動が評価されるという意味では、2期目挑戦の今回の選挙はこれまで以上に緊張の日々でした。でも、たくさんのママ友が、運転手やアナウンサーを引き受けてくれてどんなに心強かったことか...最終日のおそい駅での宣伝と当選お礼の朝の宣伝にまで参加してくださったその熱い思いには感激でした。
みんな、ホントにありがとう!そして、これからが頑張りどきだよね。
子育て中のお母さんやお父さん、そしてたくさんの願いを議会に届け、活動していきます。これからも一緒に頑張っていきましょう!(写真は17日の出発式の様子)

ご近所やご支援いただいた方々から、「当選おめでとう、3人の議員団になって良かったね〜」と声をかけられます。これからの日本共産党芦屋市会議員団に期待が大きいことを感じます。今日は、神戸の親戚の方からもはがきが届き、「3人当選の快挙!」とありました。待たれていた論客平野さんを迎えて、さっそく今日会議を開き、活動開始です。

選挙疲れがどっと出てしまいそうですが、少し休んでから、仙台へボランティアに行こうと思っています。被災地ではまだまだ手も物資も足りてはいません。少しでも力になって、しっかり学んでこようと思います。
就職活動で帰ってきている長男が、この間ずいぶんと手伝ってくれました。一人暮らしで家事が身に付いて頼もしくなってました。選挙最終日、「野菜がたくさん食べたい!」という晩ご飯リクエストに、パスタとサラダのごちそうが食卓に並びました。
おいしかったよ〜ありがとうね〜!

2011年4月16日土曜日

「しずかだより」はしばらく更新できません

明日から24日までは、選挙期間に入るため、法に規制されて更新することはできません。
選挙準備もなんとか整いました。明日からは、これから取り組んでいきたいことを精一杯訴えていきます。
子育てをして思うこと、共働きで大変だったこと、女性としてもっと充実した人生を...いろんなことを深く考えることができた日々でした。
どれもこれも、家族や女友達、職場や地域の仲間がいてこそ、できたことでした。
自分らしさを追求しながら、あすからまた頑張ります。
たくさんの仲間が選挙準備に駆けつけてくれて、力を合わせてくれてホントに感謝です!
おかあさんパワーで、政治を前に進めていきましょう!

若年脳卒中者のリハビリ保障を...にコメントいただいて

貴重なご意見ありがとうございます。
医療費が高いというご意見、ほんとですよね。
命の沙汰もかね次第...まだまだそんな状況がいたるところであるのです。

かけがえのない命の大切さを子どもを産んで実感しました。
一方で、今回の東日本大震災では、自然を前に人間の無力さも感じました。
でも、だからこそ災害に強い町にするために政治がどうあるべきか問われているんです。
地域の生活実態を市民が発信して、生活を守る市政にしていきましょう。
私も子育て中の主婦としてこれからもがんばります。
どうぞよろしくね。

40〜64歳の介護保険サービス利用可能な場合&12月議会での一般質問

若年者でも介護保険サービスが利用できる場合があるということがわかりました。
もっと早くにこのブログでお伝えしなければと思ってましたが、遅くなってしまいました。
*40〜64歳で介護保険サービスが利用できる特定疾病の範囲
16種類ほど疾病が指定されていますが、そのうちの脳血管疾患にあたるそうです。

相談を受けた方は、まもなく支援センターから連絡があって、トレーニングに行けるようになりました。
それはよかったのですが、利用を申し込みにいった時にもっと詳しくお話を聞いていただいてたら...
なんとしても毎日リハビリをして、元のようになりたい!その思いの強さが、やっと職員に通じたと理解して。
でもほんらい福祉センターの役割は、総合相談窓口なんだから、最初から詳しく教えてもらえるところなのですよ。もっと市民の立場で相談に乗ってもらいたいものです。

新学期、過ぎればはやいもので、三男が最後の中学生。
新学期最初の学校からのお便りは何枚もあります。
その中には、昼食用のパン・弁当販売のお知らせが...
やはり...そう思いながらも中学給食実現のためにがんばるぞ!と思ったのでした。
2010年12月議会でとりあげた「中学校給食」と「シーサイド高層住宅の問題」を議事録から抜粋しました。
長いですが紹介します。(市議会のホームページで検索して読むこともできるのですが)

◆22番(森しずか) お疲れのところとは思いますが、今議会最後の一般質問です。どうぞよろしくお願いをいたします。

私としても、今期、最後の一般質問となります。議会に送っていただいて3年半、市民の声を議会に届け、市民が主人公の市政実現目指して、課題に取り組んできました。今回も市民の声に基づき、通告に従って日本共産党を代表いたしまして、一般質問をいたします。今回は、2つのテーマで質問をさせていただきます。

1つ目は、シーサイド高層住宅についてです。芦屋浜シーサイドタウンは、入居開始から30年がたちました。住民の高齢化が進み、暮らしの不安を抱く住民はふえています。今後、10年、15年先に住民の生活実態はどうなっていくのかを見据え、今後の生活支援や防災、事故への体制整備など、課題を明らかにしながら対策を立てていかなければならない時期に来ております。しかしながら、芦屋浜シーサイドタウンの中でも、高層住宅の課題は、まちの開発に起因することが多く、行政も県公社、都市再生機構、民間会社アステムで構成する4者協議会とともに、住民の良好な住環境をどのように守り、発展させていくのかを考えていかなければ改善されていかないのではないかと考えます。

そもそも中央の宮川を挟む、20.3ヘクタールの高層住宅ゾーンは、1972年建設省が主導で、提案競技という手法で計画と建設が進められました。翌年、この国家プロジェクトは、アステム企業連合の案が採用され、1975年には芦屋市と県住宅供給公社との開発協定が締結、翌1976年に高層住区の建設が始まったのです。約3年という短期間に14階から29階建て、52棟、3,381戸の高層住宅が完成します。当時の兵庫県住宅供給公社発行の入居申込書やパンフレットには、「兵庫県が21世紀の未来におくる住まいの街。」、「未来都市への新しい提案」と入居の呼びかけがされ、1979年3月から、県営住宅、県公社住宅の入居が次々と始まりました。入居開始から住民は、住民登録受け付け拒否や、水が供給されなかった問題に遭いながらも、芦屋浜は一つと、心合わせて生活インフラの稼働や、住環境改善の運動をしながら、まちづくりを前進させてきたのです。

そこで、3点について、具体的に伺います。

まずは、エレベーター各階停止について、4者協議会との話はどこまで進んでいるのかということです。昨年の12月議会で、私は、エレベーター設置や交流の場が要るのではないか、住民の声を4者協議会に届けてほしいと求めました。市長は、「4者協議会のメンバーではないので、市は提言できない」との答弁をされましたが、その後、副市長は、「4者協議会とは今まで話したこともないので、それぞれ団体の考えを把握し、市がどこまでかかわれるのか検討する。一度話をする」ということでした。あれから1年がたちました。その後、4者協議会と話をされたのかどうか、お伺いをします。

2点目は、4者協議会への住民参加についてです。入居30年たった現在、住民が抱える問題は、住み続けられるための住環境の改善です。県は、計画当初、日本の経済成長がさらに進むと考え、高層住宅に住む比較的若い世代は、ある程度で住みかえる方向と考えていたようです。しかし、バブル崩壊、不況、震災などを背景に、住民は住みかえではなく、住み続けることを選びました。復興住宅として高齢者が県営住宅に入居してからは、高齢化が進み、ひとり暮らしの高齢者がふえ、孤独死が発見されるという状況も生まれています。高層で、しかもエレベーターが停止しないフロアは、閉鎖的で、子育て環境としても孤立になりがちです。7階に一度とまれば、その後は5階ごとしかとまらないスキップフロア型のエレベーターが、住み続けていくためには、大きな障害となっています。

高層住宅に住む、3,000人を超える住民は、各階にとまるエレベーターを望んでいますが、県住、公社、都市再生機構、民間のアステムという運営管理が違う建物が50棟余り集まった高層住宅に、エレベーターを設置するという大規模な改修は、各住棟で取り組めるものではありません。生活に不可欠なインフラ関係の設備は、住棟の所有形態に関係なく、集中制御や全体で管理する形になっていて、管理運営は共用の施設として4者協議会が担っています。本来ならエレベーター各階停止の問題は、プロジェクト開発した国の責任で解決していくべきことです。そのためにも住民の声を県、公社、都市再生機構、アステムの4者協議会に届ける体制として、市が住民も含めた4者協議会との話し合いの場をつくっていくことが必要ではないかと考えますが、いかがでしょうか。

3点目は、高層住宅の住民が今、切実にとらえている災害時の避難体制についてです。災害や事故は思いもかけずに起こります。そんなとき、住民が取り残されないような対応を求めるものです。阪神・淡路大震災以降、高層住宅においての防災や避難体制では、住民役員や自主防災などで、災害弱者の居住状況を把握するようになってきました。しかし、大災害や、エレベーターが使えなくなるという事故が発生すれば、29階という高い場所では、はしご車さえ届かず、最高階に救助に行くのは、ごく近所の限られた住民です。住民による救助、支援体制は限界ではないでしょうか。早急な対応が求められています。高層住宅での特殊な避難体制などについて、どのようにお考えか、お聞かせください。

2つ目の質問は、中学校給食の実施を求めてです。今期、我が党議員団だけでなく、複数の議員が中学校給食について取り上げました。これまでの議論の中で、中学校給食をなぜ実施しないのかという質問に、市長は、「財政状況と、教育委員会の考え方で難しい」この一点張りです。また、学校給食法に言う、努力すべきという規定については、「直ちに実現できなくても、できるだけ実現に向けて努めるべきものだ」と答え、「市の施策として、中学校給食の実施はない。よって、優先順位もない」というような答弁です。

芦屋の学校給食は、本当に愛情いっぱいの給食です。ここにいる議員の皆さんや職員の皆さんに子供たちと一緒に食べて味わってもらいたいくらいです。食べたらきっと、こんなにおいしい給食を思春期の中学生にも食べてもらって、心も体も大きくなれよと思うに違いありません。小学校給食の質の高さは、給食にかかわる多くの職員の手間と知恵に支えられていると実感します。市立小学校の子供は、私の4人の子供もそうでしたが、6年間温かい手づくり給食を食べて成長しています。卒業を前に、おいしい給食が小学校の思い出だと、うれしそうに話す卒業生は本当に多いものです。栄養教諭の食育の授業と取り組み、それぞれの学校で工夫された献立、調理員さんの手間をかけた手づくりの食事は、子供たちにつくり手の思いがしっかりと届いています。

先月行われた読書フェスティバルでは、給食に出される野菜の絵本を紹介している読み聞かせボランティアの活動まで報告されていました。学校給食を通じて、いろんな先生が、地域の人がかかわっている。これが芦屋の小学校給食の質の高さであり、よさです。心も体も健康に育ってほしいという大人の思いが、子供たちには大事にされているというメッセージとして伝わっていると確信します。だからこそ、学校給食のよさを次の子供たちのために守っていかなければならないと強く思います。

しかし、残念ながら、この小学校給食のよさは中学校にはつながりません。なぜつながらないのでしょうか。学校給食法では、義務教育において学校給食が実施されるように努めなければならないとされているように、法律上は必ず実施されなければならないものではありません。しかし、全国の97.9%の小学校では給食が実施されているのです。義務教育の小学校では、当然実施されている学校給食ですが、全国の中学校給食実施は、2008年度では、75.6%、兵庫県では2007年度47.3%だったのが、2009年度には50.7%と実施率は増加傾向です。昨年度、三木市が実施、今年度は播磨町が始まり、明石市も調査費が予算化されるなど、中学校給食実施を願う市民の声とともに、行政も動き出しているというものだと思います。全国も同じように増加傾向で、中学校給食実施を公約に掲げた市長が、市の重点施策として推進していく方向で、検討が深まっていると感じます。子供の貧困や子育て支援に自治体がどう向き合っていくのかが問われているのではないでしょうか。

芦屋市でも財政難や愛情弁当、食べる量の個人差などを理由に、中学校給食を実施しませんとするのではなく、導入するには何が問題なのか、課題は何なのかを市民にも納得できるよう示しながら教育の一環として位置づけられている学校給食を中学校でも実施する方向で進めていただきたいと思います。

そこで、4点について、お尋ねします。

まずは、中学校給食の果たす役割についてです。中学校でも小学校と同じように給食を実施してほしい。これは、保育所や幼稚園、小学校に通わせている子育て世代から、子育てが終わって孫育てをしている世代が強く望んでいることです。中学校給食を実施する自治体がふえているのは、市民の要望や食育の取り組み、食生活の実態などを踏まえ、実施することに自治体の役割があると判断しているからだと思います。小学校給食のよさを中学校でさらに継続させることには、中学生自身が小学校給食で学んだ多くのことをしっかりと身につけて学ぶことにもなります。中学生の時代こそ、栄養のある食事と地域や習慣を継続して学ぶことが必要な時期です。

しかし、行政の答弁は、愛情弁当論から始まり、数億という予算は出せない。食べる量や嗜好など個人差がある。給食指導ができる状況にないなどの理由から、よって今は、昼食のあり方を検討しているというもので、一貫して中学校給食を否定しています。

今年度、中学校の昼食用パン販売に加えて、選択肢をふやすとして業者弁当を週2回実施しています。菓子パンや、やきそば、カレーパンを食べ続けるよりは、おいしい弁当のほうがいいかもしれません。しかし、これで中学校の昼食はよしとしていいのでしょうか。中学生の食生活の実態はどうでしょうか。全国的にも朝食欠食がふえ、肥満、痩身傾向が言われ、塾や1人で食事をする孤食が問題になっており、芦屋の子供も同じ傾向が見られるというふうに感じます。学校給食、食育の観点から中学校給食の役割をどのようにとらえているのか、お聞かせください。

2点目は、中学校給食のアンケートについてです。昨年度実施した中学生のアンケートの回答結果は、どのようなものだったのでしょうか。その結果をどのように分析しているのでしょうか。私たち議員団が今、取り組んでいる市政アンケートにも、中学校給食実施を望む声は36%にも及んでいます。中学校でも温かくて栄養のある給食を食べさせたい。給食から食育を学ぶことができる。共稼ぎ、片親で朝の弁当がつくってやれない人たちもいると思うし、成長期にバランスのよい栄養をどの子供たちにもとることができることは大切だと思う。などなど、たくさんの方々が実施を切望して、声を寄せてくださいました。中学校給食実施の声が市民から上がっている中で、なぜ中学校給食を実施してほしいのか、学校の食育に何を求めるのか、中学生の全保護者や、待ち望んでいる小学校、幼稚園や保育所の保護者、多くの市民の意見を行政は聞いていただきたいと思います。中学生にアンケートを実施するならば、正式に保護者や関係者にも参加できるアンケートの実施を求めますが、いかがでしょうか。

3点目は、芦屋の中学生の食生活の実態を調査し、昼食のあり方を検討すべきだということです。食が生きる力と大いに関係があることはだれもが認めるところです。ところが、子供の食生活は、家族の状況や放課後の塾や、家庭の食習慣などを背景に、1人で食べる孤食が進み、みんなと御飯が食べられない。トイレ昼食の大学生という状況まで生み出しています。そこで、芦屋では中学生の食育をどのように進めようとしているのでしょうか。まずは、食生活の実態から出発した昼食のあり方の検討をすべきだと考えます。中学生の実態調査を求めます。また、検討されている昼食のあり方の検討状況をお伺いいたします。

最後に、費用と小・中6年間の実施する意義についてお伺いします。前議会の前田議員の質問に、市長は、「多額の運営経費が必要となる事業を新たに実施する場合には、全体の歳出をふやさないことが必須」と答弁されています。では、お金がかかると言うけれど、一体幾らかかるからできないというのでしょうか。建設費用と運用していく費用の試算をお伺いします。

保護者にとっては、忙しい朝に、育ち盛りの子供のお弁当づくりの負担は軽くなり、栄養のある給食を食べていることで安心もできます。中学校給食を通じて、保護者も食育や思春期の子供の心を学ぶ機会があれば、それはそれで親育ちとしての子育て応援とも言えるのではないでしょうか。中学校給食の食材も地域で調達されれば、さらに地産地消の一つの輪として地域の応援ともなります。現在の小学校給食に利用されている食材は、地域でどれだけ調達されているのでしょうか。およその範囲でお聞かせください。

以上で、1回目の質問を終わります。

○議長(徳田直彦君) 答弁を求めます。

山中市長。

◎市長(山中健君) =登壇=森しずか議員の御質問にお答えいたします。

初めに、芦屋浜シーサイドタウンのエレベーター各階停止についての4者協議会との協議につきましては、昨年12月定例会において、森議員の御質問をいただいた後、本年1月に民間分譲のアステムを除いた、兵庫県、兵庫県住宅供給公社、及び都市再生機構に照会をしましたところ、3者ともに階段室等のスペースの確保や、構造的、法的な課題等から、困難であるとの回答でございました。また、4者協議会に住民の声を反映させる体制づくりにつきましては、4者協議会は高層住区内で共同利用する駐車場や、歩道等の施設を良好に管理していくことを目的に設置された協議会とお聞きしておりますが、住民が参加できることについては、御要望をお伝えいたします。

次に、災害時に住民が取り残されないような対応につきましては、災害の発生直後は取り残される方が多く見込まれますので、まずは自助、共助においても対応していただくことが大切であると考えております。そのためには、日ごろからの地域コミュニティ活動とともに、地域のコミュニティ名簿づくりなどを進めていただけるよう、自主防災会等と協力して取り組んでまいります。

次に、中学校給食の実施につきましては、中学校給食の果たす役割としては、一般的には健康な食生活に関する理解を深めさせていくこと、食事に関する正しい知識やマナーなどを理解させることで望ましい食習慣を養うこと、また、いろいろな食べ物を食べる機会や経験を持たせることなどが挙げられると言われております。また、食事の量や体格、嗜好など、個人差が大きくなる時期にある中学生にとって、食事は大変重要なものになりますので、昼食に限らず、1日の食生活を通じてバランスのとれた栄養摂取と健全な食習慣を身につけることが重要であり、学校と家庭の双方の役割は、非常に大切なものであると考えております。

私としましては、これまでお答えしてきましたとおり、現在の財政状況の中で、中学校給食を実施することは、到底困難であると考えておりますし、また、教育委員会において、家庭における食育の効果や教育効果などを総合的に判断した結果、中学校給食以上に弁当給食の効用が大きいと考えておられますので、その意向は尊重すべきものと考えております。したがいまして、議員御質問の中学校給食の可能性を考えることにつきましては、現在のところ積極的に取り組む考えは持っておりません。

その他の御質問につきましては、教育長からお答えをいたします。

○議長(徳田直彦君) 藤原教育長。

◎教育長(藤原周三君) =登壇=森議員の御質問にお答えいたします。

学校給食の果たす役割につきましては、これまでお答えいたしましたとおり、一般的に栄養のバランスのとれた食事を摂取することにより、児童・生徒の健康の保持・増進や、体位の向上、食事に対する正しい知識、マナーや、望ましい食習慣の育成等が図られることが挙げられます。これらのことは、弁当持参による昼食で達成できるものであり、特に中学生においては、これまでお答えしてきましたとおり、家庭の弁当を通じて、親子のつながりを大切にすること、成長期の食事の量や体格、嗜好など、一人一人の生徒の状況に応じた食事が用意できること、準備や後片づけの時間に長く時間をとる必要がないため、生徒が昼休み時間を余裕を持って過ごせることなどから、教育委員会といたしましては、中学校という成長段階においては、弁当昼食のほうが優位であると考えております。

昼食についての調査につきましては、昨年度、中学校の昼食のあり方の研究を進めるに当たって実施しており、パンを購入していた生徒が、平均で8.3%という結果を受けて、3中学校では、業者による弁当販売を導入し、子供たちの選択肢をふやしてまいりました。今後は、これらの調査結果を継続していく中で、必要に応じて子供たちの食生活の実態調査等も行っていきたいと考えております。

次に、中学校給食の実施する場合のコストにつきましては、既存の施設に単独調理場を増設すると仮定した場合、概算ですが、建設費に3中学校で、約9億円程度、建設後の運営費に年間、3校で約1億2,000万円程度と試算しています。

教育委員会といたしましては、コストの問題も大きいですが、それ以上に、弁当昼食の効果が大きいことからも、今後も家庭からの弁当持参を基本とし、あわせて弁当販売についての調査研究を継続することを進めてまいりたいと考えております。

なお、小学校給食に利用する食材の地域での調達状況につきましては、食材そのものの割合ははっきりとはわかりませんが、現在、49の業者を学校給食の物資納入業者として指定しておりますが、その中で、地元業者は16社でございます。

以上です。

○議長(徳田直彦君) 森議員。

◆22番(森しずか) それでは、2回目の質問を、高層住宅の関連で、まずお聞かせ願いたいというふうに思います。

昨年の私の質問を経て、お話をしていただいているというような点では、一歩前進かなというふうに思っています。その風穴をあけたその先が、また大きな本題に入っていくわけなんですが、住民の方々の良好な環境をつくっていくというようなことで、進められたのが、この芦屋浜シーサイドのまちづくりなんですね。このまち全体の共通の施設とか、あるいは整備が引かれております。それは、土地も建物も含めて、御存じのとおり、そこの共通部分をしているのが、今、御答弁あった4者協議会というようなことのわけですが、そもそも4者協議会は、そういう管理運営も含めてまちづくり全体を考えていくとして、この提案競技の中で進められてきたという経過があるんですよね。なので、実際に今、管理している部分は、その管理の維持は必要だというふうに思いますが、30年たったこのまち、最初スタートしたまちは、紹介しました未来都市というようなことで、これ、前も紹介させていただいたんですが、このシーサイドの自治会連合会の方々がまちづくりの経過を紹介しているわけなんですが、「21世紀の未来におくる街。」なんだというようなことで、最初のまちをつくった、描いたのは、建設省なわけです。その中で提案競技をしてやっていったということなんですが、つくったその思いが10年、20年、震災を経た30年、今、どうかというと、やはり同じように住みよい環境を維持していくことは大事だというふうに思うんですね。そこで住みかえられていない、あるいはエレベーターがとまらない。こんな状況は、今住んでる人たちには、とても不便なんだというようなことで声が上がっているわけです。ということは、4者協の管理も含めてまちづくり全体をやはり風穴をあけた、その先から、話をやはり市も、市民が住んでおりますから、一緒になって進めていただきたいというふうなことなんです。

実際には大変なことだというふうに思います。管理も違いますし、それぞれの公社、あるいは都市再生機構、考え方が違うというふうに思いますが、その調整役をしていただきたいと、住民とそれぞれの団体のそういうところは、やはり市がやらないと、進んでいかないというふうに思いますね。市が解決せよと私は言ってるわけではいなくて、住民の声を市がやはり届けていって、一緒になって、これは県、そもそも国のプロジェクトで進んだまちですと。30年たったまちは、今、こんなになっていますということで、県を動かすとともに、県と一緒になって国に進めていく、その提案競技をされたまちづくりの理念で今のまちも続けていきたいんだということで、市が一緒になって声を届けていく。そのためにも4者協議会が管理をしているからそれでよしとすることではなくて、そこに住んでる住民の声を一つに、やはりまちづくり全体、芦屋浜を一つのまちとして取り組んできた連合会の取り組みを、大きくさらに進めていく手助けといいますか、応援といいますか、そういうことを市もやっていただきたいというふうなことなんです。

なぜかというと、切実ですよね。住んでる方々は、孤独死が出ている状況です。芦屋市は、市民が高いところに住んでいて、そして、階段があれば下におりれるかというと、それだけでもありませんけど、随分と違ってきますよね。御存じでしょうか、構造は。5階隔てた、その真ん中に住む方々は、上に3つ、下に2つとか、上に2つ下に3つ行かなきゃいけないんです。階段1つにドアがこう向き合っていますから、とても閉鎖的ですよね。そういう意味では、大きな市民の要望を聞きながら、じゃあ一体、自主防災とかあるいは住民の方々が考えている、その住み方、あるいは住まい方、暮らし方、それをよく聞いていただいて、新しい提案を進めていくと同時に、階段の状況は、例えば29階までできなかったら、せめて5階までは各階停止にしますとか、そんなふうな住民の方、思ってらっしゃいます。そんなふうな思いをやはり話せる場をつくっていただきたいというふうに思うんです。その辺、いかがでしょうか。いま一度、住民が解決しようとしている内容は大きいことです。そこに市が一緒になって4者協との場をつくり、そしてそれを国の責任としていくという体制が要るというふうに思いますが、その辺のお考え、お聞かせ願いたいというふうに思います。

それから、避難体制の問題なんですが、確かに、まず、自助、共助でやっていくことは必要ですし、やってらっしゃいます。各自治会や、あるいは福祉推進委員の方、あるいは民生委員の方が小まめにひとり暮らしの高齢者や、あるいは子育て世代やひとり親、また、外国の方も多く住んでらっしゃいますので、細かくやれるというふうには思いますが、いざ、大きな災害や救助となると、それは難しいですよね。そこで住んでいる方々が、ともに力を合わせても、皆さん被害に遭われれば、その避難体制は、じゃあ一体どういうふうに責任持って一まとめに避難体制をつくっていくのかというような点は、救助と避難体制と2つの柱で要るというふうに思います。そのための名簿づくりで把握しても、そこに届くような足を運ぶような手だてが実際にその災害のときになければ進みませんから、あわせて、救助も含めて避難体制は市のほうも一緒になって支援していただきたいというふうに思うんですね。実際に29階という高いところは、はしご車が本当に届くんだろうかとか含めて、はしご車は届かなくても消防の方々は階段を駆け上がっていくんだろうかとかいうふうに思うわけです。これは救助の面ですけれども、救助の体制もやはり住民にわかるように、そして、それを考えればこそ、階段がとまる階は、上もとまりますけど、上に行くほど5階ごとに、7階にとまって、12階、17階といきますね。17階になると大変ですよね。同じ階段で、とまるところに住みかえるといっても高いですから、やはり低層のところになるべく住みかえられるような、そんな計画を10年、20年のそういう何か中期、5年、10年、15年という、そういう何かスパンで、体制を考えていかなきゃいけないというふうに思いますが、その辺、いかがでしょうか。お尋ねしたいというふうに思います。

それから、学校給食について伺います。学校給食のよさはわかるというような御答弁だったかというふうに思いますが、それが実際に中学生に身についているかどうかというのが、私は重要なことだというふうに思うんですね。芦屋市が出している「楽しい学校給食」という、こんなパンフレットがありまして、このパンフレットには、しっかりと「学校給食は、これからの日本を担う子どもたちの豊かな心と丈夫な体をつくる大切な教育活動の一環です。」というふうに書いてあります。小学校で実施している、その給食を中学校でぜひしていただきたいと、やはり改めて思います。しっかりと食べて、そして知識を得て、習慣をつける。家庭だけに任せないで、学校教育、教育の一環として中学校給食がやはり実施されるべきだというふうに思います。

アンケートの結果をお聞きしたんですが、パンを食べている人は、平均8.3%。これは前も伺ったかというふうに思うんです。実際に中学校給食がどうなのかというのを調査したというふうに聞いています。その中学校給食についての結果も踏まえて、これから子供たちが中学生が給食をどんなふうにとらえていくのかというのを、その実態から、やはり進めていくべきだというふうに思います。

コストをかけても、それ以上に弁当効力が大きいとおっしゃいましたけども、私はそれほどに弁当給食の効果が大きいかなというふうに思うんですね。愛情弁当は、確かにあるかもしれません。でも、想像してみてください。小さなお弁当箱、たくさん食べる人は大きいお弁当も持っていくでしょう。その中に詰められる栄養と、学校給食でおわんとそして御飯やパンと牛乳と、そろったその栄養価は、どれだけの効果が子供たちの中にあるかというと、それは弁当よりも温かい、そして手づくりの、そしてまた、食材やつくり手が、学校でつくっていたら、あの先生がつくってきてくれるとわかります。身近なそんな関係がわかる、そんな学校給食のほうがうんと子供たちは、中学生は、教育の面で、お弁当よりも効果が大きいんじゃないでしょうかね。栄養面でもコミュニケーションの面でも、知識の面でも、習慣の面でも毎日毎日、月曜日から金曜日まで食べる給食です。そちらのほうが私は弁当給食より効果が大きいと思います。実際に建てるには9億円、運営するには1億2,000万円、この数字にこだわるわけではありませんが、それ以上に、お弁当が有効だというのは、私はどうしても納得ができないですね。

兵庫県の中で、神戸市は、お弁当の販売をしています。実際にどんな声があるかというと、お弁当を利用しているのは、わずか1.2%だそうです。なぜか。弁当を注文するのが恥ずかしい。そして先生方は、こんなふうにも思っています。弁当は、業者と生徒だけの関係。なかなか食育というふうにはならないんじゃないか。これは多くの神戸の市民も思っていて、これはやはり制度としての給食ではない。学校給食という食育の意味は持たないと、そういうふうな声を聞いています。芦屋の中でも、本当に中学校給食を要望する声があるんでしょうかというふうに、この取り組み、一般質問のヒアリングをする中で伺ったんですけど、聞こうとしなければ聞こえませんよね。市民がこんなに望んでいる。議会でも毎回というような感じで中学校給食の実現をしてほしいと迫っているわけです。実際に、聞いているのに、聞かないんじゃないかなというふうに私は思いますね。

こんな声を寄せられていますので、紹介します。「今、週2回の弁当注文が実施されている。どういう意図で始められたんでしょうか。給食が本当に親たちの望むものなのか、推しはかるためのものですか。あの弁当では、大体注文が減ってきていて、立ち消えになるんではないかと感じています。深読みしているかもしれませんが、注文が少ないイコール給食も必要ないという短絡的な結論は導き出さないでいただきたい。」今、弁当を持っていけない人には、業者の弁当を提供している選択肢がふえた。でもその弁当だって、注文が少ないんじゃないか、それは、だから中学校給食が要らないということにはしてほしくないという声だと思うんですが、実際に学校給食がないわけですから、持っていかざるを得ないんですよね。子供はお弁当が、御存じでしょうかね、3年生がやっぱり優位なんですよね。パンダッシュですね。お弁当でも。なかなか1年生は思い切って買えない。で、とりあえず急いで朝つくったお弁当を持たせるわけですが、そういうようなお弁当で、食育がやはり身につくのかなというふうに私は思います。好きな菓子パンを買い続ける。あるいは、好きなおかずだから入れてあげよといって、同じ揚げ物をずっと入れ続ける。そんなんで食育、学べるのかな。家庭にもいろいろ工夫して考えなきゃいけないことはあると思いますが、子供たちが学校で食育を学んで、実際にお昼になって、このお弁当でいいかなと思いながら食べるわけです。そういう教育ではなくて、だからやはり、中学校給食、実施していこうというようなことに踏み込んでいただきたいというふうに思います。

計画がなければ、なかなか前にも進んでいかない。この芦屋で出している食育推進計画というようなものがありますが、ここには、中学生の食生活の実態は調査されておりません。小学生の食生活の調査、飛んで成人になっています。中学生の生活習慣や食習慣、あるいは、そういう中学生の実態を調査していないんですね。やはり私は、ちゃんと今、親の教育も含めてですが、子供たちが自分が今持っている食べているお昼でいいのかどうか、それを子供たちも知りながら、また、親も学びながら、学校が本当にこの食育でいいのかどうかという、実態調査をしながら進めていただきたいというふうに思いますが、実態から進めるその検討委員会、こんなお昼の御飯でいいのかということを検討する、その場を設けるべきだというふうに思いますが、いかがでしょうか。その点をお聞きしたいというふうに思います。

以上です。

○議長(徳田直彦君) 答弁を求めます。

砂田都市計画担当部長。

◎都市計画担当部長(砂田章吉君) 私のほうからは、シーサイドの関係のことについてお答えをいたします。

今回、各管理者団体さんのほうにもそれぞれお尋ねした中で、建物の構造的なことですから、それぞれ同じではないかと思うんですが、お答えの中で、ここの建物につきましては、建設当初に、財団法人日本建築センターの構造評定を受けてるため、基本的には構造上の変更が認められないというお答えが出ております。その中で、今、今回お尋ねなのは、エレベーターを設置するに当たりましても、階段室の踊り場の前に前面にブレースがあり、階段室との往来ができないとか、あるいは躯体構造の重量増や、インフラの容量や計量の確保ができない等々、理由があって、エレベーターの設置については、残念ながらできないというお答えをいただいております。そういう中で、4者協の中でお話ができないかというところでございますが、4者協は、先ほども市長からお答えしましたように、共用部分についての管理のことについてお話をする場ということで聞いております。それぞれのエレベーター等については、各住棟の管理者さんが、それぞれ個別で専有部分の管理をされてるというところもございますが、そういう御要望があるということについては、再度、4者協の、先ほど市長がお答えしましたように御要望等については、お伝えはしてまいりたいと思っております。

以上でございます。

○議長(徳田直彦君) 谷崎都市環境部長。

◎都市環境部長(谷崎明日出君) 私のほうから避難についてでございますけれども、高層階の上から、上のほうまで足を運ぶ必要がある。市のほうも一緒になって支援できないかということでございますけども、発災直後につきましては、市内各所で被害を受けるということがございますので、自助、共助でお願いしたいということで、一定、その被害がどの辺が被害が多いとか、そういうことがわかってまいりましたら、事前にコミュニティの名簿をつくっておれば、その高層階のどの階に取り残されてるかということを判断できますので、上から順番にというようなこともできますので、そういう体制をつくっていこうと思っています。

あと、実際のその救助でございますけども、自治会とか自主防災会等の協力を得まして、消防の職員とか、まわせる市の職員とかいった者で連絡体制を考えていかなあかんとは思っております。

○議長(徳田直彦君) 上月学校教育部長。

◎学校教育部長(上月敏子君) 森議員の御質問は、3点というふうに受けとめております。もし、漏れがございましたら、後で御指摘いただきましたらと思います。

まず1点目ですが、中学校給食以上に、弁当がなぜ有効なのかという御質問だったと思います。これは、少し視点をかえてみまして、教育課程のほうから考えてみていただきたいと思います。例えば、小学校では、4時間目が終了しましてから5校時が始まるまでに、清掃を除きまして、65分から70分、給食と昼休みに当てております。これが、中学校にいきますと、50分となります。その50分の中で、子供たちが、給食、それから昼休みというふうなことは、非常に難しゅうございまして、そうしたことによる教育課程のしわ寄せというものが、子供たちのゆとりのない部分に出てくるというふうに私どもは考えておるところです。例えば、中学校では、朝の読書を進めておる学校、それからミニ学習として10分以上の学習をしている学校、それから子供たちの様子を観察するために、時間をふやしてホームルームをしている学校、そういった教育課程を含め、それから部活動を含め、全体を見たときに、教育課程上の課題が非常に大きくなるというふうに考えているところです。そして、弁当が非常に有効であるという点につきましては、教育長答弁にもあるとおりでございます。私どもは、今までの答弁で申し上げたとおり、今までの弁当について、継続をしていきたいという考えを強く持っております。

また、2点目といたしまして、弁当で食育が身につくのかという御意見ですが、これは、食育は何度も申し上げてきましたが、ここはちょっと意見の違うところかもしれませんが、学校の教育課程全体で進めるべきものというふうに感じております。また、子供たちが弁当を自分たちでつくるという指導を家庭科でも行っております。そうした中では、5大栄養素を学んで、日ごろつくってくれている家族や、それから親戚の者に、弁当をつくってプレゼントをするというふうな実践もあるやに聞いております。こういったことからも、お弁当でも十分に親子の愛情と申しますか、十分に食育ができるというふうに感じております。

それから3点目の実態調査等でございますが、現在、販売弁当による調査研究を進めてきております。そうした中で、調査研究ですので一定期間を取り組んでみまして、その振り返りは必ず行わないといけないというふうに思っております。ですから、その振り返りのときには、中学生の食生活に関する調査も行いまして、振り返っていきたいと思っております。今の販売弁当の課題もあるでしょうから、そういったことに関しても振り返りをして、改善を進めていきたい。そしてまた、できれば、拡充までも考えながら進めていきたいと思っております。

以上でございます。

○議長(徳田直彦君) 森議員。

◆22番(森しずか) 4者協の話は、構造上大変なんだけども、その声を届ける検討委員会をぜひ、これ、4者協には住民の声を届ける場が、届ける仕組みになっていないんですね、市が一緒になってこの場をつくってほしいというふうに言っているので、ぜひ、ここ、検討していただきたいというふうに思います。名簿をつくっても、若葉の例えば県住は、高齢者65歳の方々は、280世帯中133人ですよ。どうやって高齢の人がこれで自助、共助できるんですか。それは高齢化が進んでいる実態をよく見ていただきたいというふうに思います。その中で、芦屋が救助避難体制を、現実に合ったものをつくっていただきたい。それがエレベーターの高層住宅に高く住んでる方のネックになっているというふうなことを私は申し上げています。ぜひ、何か大きな事故やそんなことがあって、市民が犠牲にならないうちに、だから今、見据えて計画を立てていただきたいというふうに思っております。計画を市としても責任持って4者協とあわせて立てていただきたいというように、強く要望させていただきます。

給食のことですけれども、教育課程は、全国そんなに大きく差はないと思います。財政も厳しいところでも子育て支援だといって、中学校給食、実施しているんですよね。そんな教育課程のしわ寄せとか、そういうことで、中学校給食ができない理由をしてもらっては、もう困るというふうに思いますし、一体じゃあ、学校給食、子供の、中学生のこの実態で教育委員会はどういうふうに食育をとらえているのかなというふうに、私はそういう観点からも疑問に思いますね。問題なのは、忙しい先生が給食指導できない。うちの子供が通ってるとこは、15分しかありません。さっき50分とおっしゃったから、大体そんなふうになるでしょう。昼休みはいろんな委員会の打ち合わせもありますよ。そういうところも含めて、こういう食べ方でいいのかということだというふうに思いますね。ならば余計に、一緒にばたばたする学校の中で、給食の時間、担任の先生とコミュニケーションをとる、そしていろんなことを学ぶ、食べる、栄養をつける、そんなことをやはり実態から踏まえてスタートさせていただきたいというふうに思います。

自分たちで弁当をつくって、いろいろプレゼントをするというのは、もう私は何かがっかりしましたね。それはそれで重要でしょう。でも、学校給食として、今の中学校の自分で弁当ができるという、そういう食育やお昼のパンを食べたり、さっきの弁当の中身じゃないですけど、それで本当にいいのかなというふうに思います。ちゃんと教育の一環として中学校給食を実施していただきたい。それに伴ういろんな課題や問題があれば、やはり親も先生も一緒になって、解決していく、そういうスタートをやっぱり切ることが大事じゃないでしょうか。私はそういうふうに思います。

芦屋の子育てのよさというのは、本当に何なのかなというふうに私は思いますね。西宮は、尼崎と芦屋がやらない、西宮の中学校給食がこれ、魅力なんです。こんなふうに西宮の市長はおっしゃっています。「子育てするなら西宮」というふうなことで応援するんだと。決して芦屋と比べて財政が豊かであったり、そういうことではないというふうに思いますね。財政がない中でも進めている。そういう西宮でやるんだという、その思いが一つ一つ中学校給食や、医療費の無料化や、あるいは教育に向けての姿勢だというふうに思うんです。芦屋でも本当に子供の栄養と、そして心と体を考えるならば、今、芦屋の子供たちに不足している、例えば朝、食べない、夜遅い、なかなか人とコミュニケーションがとれない、そういうような状況の中で、今大事にすべきものは、芦屋の子育ての魅力は、もう一つ、この給食や医療費やそんなとこで進めていくというような姿勢が私は要るというふうに思いますが、その辺の市長の給食に対する思いを聞かせていただきたいというふうに再度お伺いをしたいというふうに思います。

○議長(徳田直彦君) 山中市長。

◎市長(山中健君) 森しずか議員の3度目の御質問にお答えをいたします。

中学の弁当についての効果は、先ほど来、また、今までも教育委員会が申し上げてるとおりでございます。あれもこれもの御提案でございますが、昨日申し上げましたように、あれもこれもできる状況には財政的にはございません。せっかく皆さんの協力でトンネルの出口まで来ましたので、あれもこれも採用しておりましたら、また、真っ暗なトンネルの中に入ってしまいます。中学校給食を導入するよりも、子供医療費拡大のほうが、はるかに優先順位は先だと認識しております。

以上です。

○議長(徳田直彦君) 藤原教育長。

◎教育長(藤原周三君) 今、議員がいみじくも言われたように、食と心と体という言葉が私も大変大事な言葉だと、学校もこの食と心と体というのは、当然、学校も大きな役割を演じなければいけませんけれども、やはり食と心と体というのは、やはり家庭がまず第一義的に責任を持っていただきたい。我々学校は、それをサポートし、また、ときには協力をするということが原点だと考えております。それで、現在、芦屋の子供たちは--91%--先ほど申しましたけれども--の子供は、お母さんにつくってもらっているのか、自分がつくっているのかはわかりませんけども、多くはお母さんだと思いますが、その子供たちが弁当をきちっと毎日持参してきてるという事実もあるわけで、しかし、議員御指摘のように、つくってやれない家庭、経済的な問題等々で、そういう子供たちに対しては、我々行政は、やはりいろんな意味で協力し、支援してやらなきゃいけないと思っております。これについては、先ほどから弁当のこともありましたけど、費用の問題もありましょうし、今後もこの弁当が持ってこられない子供たちに対する支援の方法について、もう既に弁当給食のこともやっておりますけども、支援のあり方についても今後も研究してまいりたいと考えております。

以上でございます。

2011年4月2日土曜日

若年脳卒中者のリハビリ保障を

団地の桜が次々と咲いてます。
大震災の被害が加わって、春遠い北国。
それでも必ず、梅が咲き、桜が咲くからね。

昨日から、まだ65歳になっていないので、介護保険制度での介護予防訓練施設を利用できずに困っている...そんな相談を受けていました。

呉川町に昨年オープンした保健福祉センターには介護予防センターがあり、65歳以上の方は登録すれば訓練施設を利用することができます。でも、相談を受けたMさんは63歳。残念ながら予防センターは利用できません。
去年脳卒中で倒れ入院。歩けるようになりたいと頑張って毎日欠かさず訓練と自主トレに励んで、車いすから杖で歩行できるまで回復、3ヶ月ほどで退院されました。正確には、制度上退院しなければならなかったのですが。お家に戻ってからは、通院と自宅訓練、さらにあいている日をどこか施設を利用して自主トレをと考えての介護予防センター利用と計画していたのです。
退院した次の日からもおなじようにリハビリを続けたい、続けないと身体が固くなるから...と新しくできた福祉センターを利用して前向きな生活を計画していたのに、本当に残念だとMさん。
「年齢の制限があるのはおかしい。私のように65歳未満でも必要な人は、利用できるようにしてほしい、利用したい人はもっといるんです。病院で何人もいましたよ」と。

保健福祉センターでは、そんな要望があることは承知しているが難しいということでしたが、他にも利用希望があるのなら早い対応を検討すべきです。リハビリは毎日続けてこそ効果があることは、Mさんはじめ本人が一番よく分かり、実感していることです。
リハビリを毎日続けて、少しでも元の自分のように身体を動かしたいという気持ちに応えるようにしていかなくてなりません。一日一日がどんなに大切か、私もよくわかります。
しかも、焦らず展望持ってゆっくり進んでいくことも必要だということも。

あれやこれやの選挙準備で・・・

4月1日新しい年度の始まり(もはや2日ですね~)・・・我が家がある団地の棟の前の桜は、もはや3分咲きほどに咲き始めました。
いつもなら弘前のさくらを思いながら眺めるのですが、
今年は、大震災に原発事故、そして地方選挙。
それどころではありません。

おとといは、多賀城の友達に連絡がつき、ほんとに良かった。電話したちょうどその日、水道が復旧。家の目の前まで津波が押し寄せてきた時は本当に怖かったと。
友人の職場の坂総合病院は、昨日現在まだ自家発電と井戸水でまかなっていて、被災者と外来の患者さんの診察で大変な様子でした。全国からの支援、応援がほんとにありがたい、助かっていると話していました。

被害の様子を聞くと、すぐにでも行って手伝いたい気持ちになります。
市職員は、要請を受けてさらに明日も石巻市に7人の調理隊、2人の職員が派遣されるそうです。朝市役所で、新年度挨拶で行き交う職員さんから聞きました。選挙が終わったら考えよう。

仕事が遅いのがコンプレックスなのですが、今日もまた・・・
市役所で先輩議員と打ち合わせをしたあと、残って仕事の整理をしていると
他の議員さん数人も帰られて、気が付けば残っているのは私ひとり・・・
選挙用書類を揃えながら焦ってしまいました。
こんなに不器用では・・・ボランティアどころでないかな。
昨日の元気はどこへやら。あっという間にどこかへ飛んでいったみたい。
大震災の救援、復興で、市や町の職員もこれから長期にわたって大変だろうと思うと、同じように議会の責任もとても重くなるでしょう。
まずは、まだ整っていない書類などあれこれを準備しなくては。

2011年3月29日火曜日

事務所開きとつどいで元気もりもり!

あたたかい声援を受けて、27日事務所開きをしました。
日頃から何かとお世話になっている後援会の皆さんが集まり、今度も頑張れと応援していただいて、この期待に応えられるよう頑張ろうと気も身も?!引き締まりました。「高齢者のバス半額助成制度復活や信号機などすぐ実現できて助かったよ〜」「一期目、よくがんばった」などの応援の言葉がなによりの元気のもと!
そして、何よりも今回の選挙は、大震災の救援・復興を柱に、地域の災害に強いまち、福祉やくらしをまもるまちにしていくことが問われています。芦屋でも埋め立て地、高層住宅、核家族、一人親世帯、高齢化など...地域には課題山積。 これから一ヶ月間頑張って、市民の願いかなう市政をいっしょにつくっていきましょう!
実は、こんなことを訴えたつもりですがどうだったかな。

ちょうどお昼に終了。昼食は、私が夕べから下ごしらえをして今朝早くから準備をしていたお寿司などを召し上がって頂きました。
メニューは...お稲荷さん、ちらし寿司、筑前煮
どれも弘前の実家ではハレの日などに食べるなつかしい味です。
・紅しょうが入りのお稲荷さん
・甘辛く煮たホタテがちらしてあるちらし寿司←関西ではばら寿司と言うようですが、東北ではちらし寿司ですよね。
・筑前煮←弘前の田舎では煮しめといって具材は結構大きめで、単品で煮含めますが、神戸の義母さんは一口大で、一緒に煮絡める感じ。 いつの間にかこちらが簡単にひとつのお鍋でできるので、義母さん風筑前煮が我が家の味に。

2時からの浜風集会所でのつどい、その後は3時半からのアナウンサーさん・運転手さんのための研修。三男の保育所時代のお母さん方が前回よりも増えて、たくさん手伝ってくださることになり、ホントに頼もしく、嬉しい限りです。大感謝!

夜7時からは、来年度ほっとすぺーす潮見(集会所での県民広場事業) のスタッフ打ち合わせ。朝から、忙しい一日でした。

2011年3月26日土曜日

被災地支援・復興、福祉・防災のまちづくりを

24日、12都道県知事選挙が告示され、いっせい地方選挙がスタートしました。 
芦屋市議会選挙も一ヵ月後。
かつてない大震災と大津波、そして原発事故がおきて行われる選挙です。
全国的には被災地の救援・復興に全力をあげます。ここ芦屋では、私たち市民ができる支援に取り組みながら、潮芦屋、浜芦屋という海岸に近い町の防災を再考して、「福祉とくらしいちばんの自治体」づくりめざしてがんばります。

森しずか事務所開き日程がようやく決まりました。
3月27日(日) 午前11時~11時半
潮見町7-9 ℡38-8930   

 潮見西サブセンター、前回と一緒の場所です。
ぜひ、お近くの方はお越しください。

同日、つどいもあります。
2時~3時半 浜風集会所 ざっくばらんに話しましょう。

2011年3月23日水曜日

卒業生半数が進路あきらめざるを得ない中学校も...

今日の「赤旗」記事を読んで、朝から涙がでました。

*沿岸部の中学教員からの手紙(注)
「・・・親も家もなくして、4月から高校進学するのに制服もなく、通学もできず、学習用品もなく、もしかしたら進学をあきらめざるを得ない生徒が卒業生の半数にのぼりそう・・・子どもには、教育と明るい未来が必要・・・」
被災地でこそ、将来のためにも希望する卒業生には、高校進学の保障を!

*福島南相馬市では
「市の大部分が屋内退避地域。その地域の住民の早期避難がすすめられているが、介護が必要な高齢者は移動できず、取り残されている。寝たきりの方の家族は、避難所に連れて行くことができず、退避指示の出ている地域に時折戻って、介護を続けてきた。半径20~30㌔圏内の屋内退避地域の中には、危険にさらされながらも、避難するか残るか自己判断に任されている。行政が責任もって避難指示とすべき。国や県が責任を果たすべき」と。
震災の日が過ぎて、日が経つにつれて、被災の格差が広がっていくようでここが痛みます。

大学卒業後、当時は、重症心身障害児を守る会「仙台つどいの家」、現在は社会福祉法人「つどいの家」の最初の職員として、働らかせてもらいました。名前のとおり、重い障がいがあっても地域で生活することにこだわりつづけ、親子がつどい、どんな地域の人たちも受け入れるまさにいろんな人が集う「つどいの家」でした。施設ではなにもかも手づくりでしたが、今は施設をたくさん運営する立派な施設になっています。

その「つどいの家」が、大震災で被災。開所できない施設があり、利用者の方は困っています。
是非多くのみなさん 「つどいの家」を応援してください!
詳しくは、ホームページをご覧ください。



(注)この日記を書いた当初、手紙を書かれた方が二戸市の中学校教員だと勘違いしていました。ブログをご覧になった方から「二戸ではないのでは」とのコメントを23日にいただいていたのですが、訂正が今日になってしまいました。ご指摘に感謝するとともに、ご不安をもたらしてしまったことにお詫び申し上げます。

2011年3月20日日曜日

東日本大震災被災地での子どもたちにも思いを馳せて

市内保育所の終了式が16日、幼稚園卒園式は17日、小学校卒業式18日と続きました。
特に今年の卒業式は、目の前の立派な子どもたちの姿に胸があつくなり、涙があふれました。

被災地では、卒業を迎えるはずの同じような子どもたちがランドセルを残したまま行方不明だとTVで報道されていました。残された家族はどんなにか悔しいことでしょう・・・

潮見小学校の卒業式では、卒業生のメッセージのなかで、何人か将来の夢をいいました。
I want to be...  I want to be...
きっと被災地での卒業式に同じように参加するはずだった6年生も
将来なりたい夢があったはず。

2~3日前から、陽光町復興住宅の後援会員さんを支部の方と一緒に訪ねています。
「今回の地震は、私らの震災を思い出して、なんや気がおもくなるわ~」
「被災者の人たちは、今まだハイの状態やわ。これからが大変。みんな元に戻っていくやろ。うちらもかなり大変なときあって、復興の差が出てきたらなんでうちらだけ・・・って思うんよ。そこから落ち込んできて、現実が見えてくる」
「もう日本あかんね」という人もあれば、「大丈夫、日本人は何もない戦後から今の日本をつくってきたのだから、必ずようなる」という人もいる。

さまざまな意見に出会います。
でもこうして復興住宅をたずねることで、当時の大変さと知恵とさらに、今の暮らしの大変さをうかがうことができ貴重な活動です。
私は神戸北区での震災で、ひよどり台や藤原台の仮設住宅訪問の活動はしてきましたが、芦屋の実態は見聞きするぐらいです。

今回のような巨大地震、津波、福島原発事故の影響は環境、人、経済などでどれほどの規模になるのでしょう・・・
被災地の実態にあわせた救援・支援の活動が的確に進むよう願いながら、昨日は市会議員会派超えての芦屋市議会議員団、事務局とで、JR芦屋ぺデストリィアンデッキで救援義援金の募金活動を行い参加しました。

2011年3月17日木曜日

仙台のみんなは元気でした!

仙台つどいの家で働いていた時お世話になった施設長さんはじめ、利用されていた方やボランティアの方々に、夜ようやく電話がつながりました。みなさん無事で本当に良かった!

娘さんが入所されている施設が被災し、ちょうど今日娘さんと家に帰ってきたところだと近況を話してくださったなつかしい声のAさん。利用者のNさんともお話ができ、涙がでました。

30年ぶりだよ~と明るい声で当時の元気はそのままのボランティアのHさん。

少し早口で勢いのある元気な施設長さんは、地震当日から毎日法人の施設数箇所をまわっていらっしゃったそうで、さっきまで、京都から物資を運んでくれた同じような施設の職員のボランティアさんと一緒だったとのこと。夜10時過ぎ、ようやくおうちに戻ったところに私が電話をしたというタイミングでした。
阪神淡路大震災の時には、電話を頂き励まされました。そのお礼とこの大震災のお見舞いをと思ったのですが、物資不足もあるがなんとしても施設再建の費用を支援してほしいということでした。
4月にオープンする施設のために募金活動をしていたところに、大震災で現在利用している二つの施設が使えなくなり、さらに資金が必要になったと。

被災地では、何もかもが不足しています。
いのちを守る救援物資と義援金をはやく被災地に届けないと、助かった命の保障さえなくなってしまう・・・
原発事故による被爆の状況が最悪だという報道をみて、今日の雨や雪にふくまれている放射能の影響が深刻なことになるのではないかと恐ろしくなります。
地球規模の大災害だもの、国の責任でなんとかさせないと・・・


2011年3月16日水曜日

今年度最後「たまてばこ」の読み聞かせ

今年もたくさんの子どもたちと絵本を楽しむことができました。
年明けてからは、1年生から5年生までずっと同じ絵本です。
「つるにょうぼう」 
矢川 澄子 再話  赤羽 末吉 画
福音館書店 

雪の降った日の読み聞かせには、ぴったりでした。

「雪ふかい山里のはなしです。よ平という、まずしいひとり暮らしの若者がありました。・・・」
開いた最初のページには、雪のなかにぼんやりと浮かぶよ平と つばさに矢をうけてくるしそうにしている一羽の鶴が描かれています。
トーンを落とした声で、情景がイメージできるようにゆっくりとよみます。
ここで、子どもたちの目が絵本にくぎ付けになれば、その先はしめたもの。
声に出して読むといっそう日本語の美しさが感じられる絵本でした。

最後のクラスは、5年2組。
お話の前に子どもたちにこれまでの感謝と思いを伝えました。
絵本をみたり、よんでもらったりしながら、うんと絵本の世界で想像することを楽しんでね

目の前の子どもたちの姿と今の大災害に会ってしまった子どもたちの姿を重ねながら、10分という時間を大切にしなくてはとゆっくりと読みました。

今朝八戸の友人と電話でつながり、無事が確認でき安心しました。
ほかにみんな、無事で避難していますように・・・

2011年3月15日火曜日

芦屋市の消防士をもっと増やして!

今日の予算特別委員会の総務分科会で。

実は、先週の11日金曜日、まさに地震がおきた2時46分
総務分科会で総務費の部分を審議中、次は消防費というところでした。
船に揺られるような揺れを出席者の多くが感じたと同時に、副市長が「揺れてますよね、地震だね」とひと言。
それからは、市長はまもなく災害対策のため席を立ち、分科会は早めの切り上げで、今日は消防費からということでした。

芦屋市は市条例で消防職員の定員が95人のところ、22年度は90人。これで体制は大丈夫なのか増やしていくべきだと去年要望していました。
今回提案されている23年度では、ひとり増えて91人。救急救命士は27人で、実働24人。救急車1台につき2人の救命士が乗車するそうです。
私は、予想できない大災害が東北関東でおきているこのときに、せめて定員にあわせて実働職員を増やすべきと要望しました。消防側は、定員が増えれば実働職員に当てたい考えですが、市部局側は23年度1人増えるから良しとするような答弁。
被災地の現状を見れば、これで良しとはいえないのはあきらかです。防災力はなによりもマンパワーの充実が一番です。増やす考えなしという市側の答えに、こんなところにまで財政が厳しいというのかとほんとにがっかりしました。

さらに、国の基準では168人が必要とされているのに、充足率は53.6%ということも他の委員の質問で明らかになりました。阪神間並みにもっていくべきではないかと充足率をあげるよう求めていましたが、芦屋は工場や危険性が少ないから大丈夫と副市長が答えていました。
みなさん、悲惨な大地震がおきたこの時期に、芦屋市の防災力をどうみますか?

2011年3月13日日曜日

なつかしい仙台、多賀城の町が大地震で壊れてしまう...

世界最大の大地震でこのブログを再開するとは思ってもいませんでした。
でも、こうなったら更新しかありません。
なつかしい仙台や塩釜、多賀城、荒浜海岸が大地震の揺れと津波で変わり果ててしまったのですから...
テレビの画面に次々と映し出されていくなつかしい小学校や体育館の名前がきこえてくると、知っている人が写るだろううかとじっと見入ってしまいます。
もし知り合いが写っていたとしても、仙台を離れて25年、分かるはずもないのですが...それでも、テレビの画面に写る避難所や津波で押し流された材木や車、家のがれきや泥だらけの建物をみると胸が張り裂けそうです。

仙台の福祉大だったので、先輩や友人が仙台や塩釜、多賀城、福島にたくさんいるんです。
障害者の施設で働いていたので、当時の利用者さんの顔が思い出されてどうしているかと気がかりです。でも、電話はつながらず、友人や知人にはまだ連絡がつきません。無事でいてほしい...祈ってます。
実家の弘前もかなり揺れたようです。78歳の母は一人暮らしです。強い余震が恐く、お向かいのお家で 1日過ごしたようです。電気はきのう復旧し、夜も明るくなってほっとしたと言ってました。20数年前の宮城沖地震を仙台で体験している青森の姉も強い余震が恐しいと夜起きて、夜が明けて明るくなったら安心して眠れると言ってました。
妹家族は習志野、妹の子どもはひたちなかで一人暮らし...
広範囲で起きた地震だけに、家族親戚それぞれ無事を確認するのに2日間かかりました。幸いみんな連絡がとれてほっとしましたが、妹のところは、家の前に地割れができたと怖がっていました。

一瞬で、町も人ものみこんでしまう津波ってほんとに恐ろしい...
さらに大規模火災と原発事故による被爆という はかりしれないほどの被害です。
 昨日から、友だちからたくさんのお見舞いメールが届き、今何したらいい?と言ってもらってます。私自身すぐにでも仙台にとんでいき、働いていた施設で何か役立ちたいと思うのですが今はできません。救援の募金行動を始めました。昨日は党主催の潮見つどいで約1万9千円、今日は党と後援会のみなさんとJR芦屋南口で約6万円。昨日もJR芦屋北側で木野下議員、平野前議員と後援会の皆さんとで訴え、約6万円以上の募金がありたくさんのご協力をいただいたとのこと。本当に感謝します。しっかり被災地に届くようにしていきます。
日本共産党は地震当日すぐに対策本部を立ち上げて、被災地にむけて調査に行き、全国各地で救援募金活動を始めています。1分でもはやく、1人でも多くの人の救援を祈りながら...
引き続き、被災者の皆さんへの救援募金に 是非ご協力ください。