2009年7月22日水曜日

芦屋の部分日蝕と総選挙!

お天気が心配でしたが、なんとか見えたようですね...というのも、私は10時半から後援会の方が運転する宣伝カーでシーサイドを宣伝中だったので。すっごく残念!

夫が段ボール箱で作ったピンホールカメラ(上面の小さな穴から底面に像が映し出されるしくみ)で太陽の像を見ている息子(この時でどんな形だったのかな...)。
灰色の雲に覆われながらも、欠けていく太陽をデジタルカメラにおさめることができた夫でした。

う〜ん...やっぱり、宇宙の中で太陽や月や地球は動いているんだ...


いよいよ解散総選挙!
昨日今日、明日と街頭宣伝が続きます。
雨上がりのシーサイドは蚊が多くて、腕も脚も集中攻撃でした。明日からは薬持参でいかなくては。

「いよいよ総選挙です!雇用やくらしは良くなるどころかますます厳しくなってきました。自民公明のこんな政治をやめさせましょう」
「期待もするが不安もあるし...とおもいながら民主党と言う方には、不安が現実的になったときの『防波堤』として日本共産党にその役割を」
と陽光町で訴えていると、
「今度は平野さん本気で頑張ってや!」と年配の男性から声がかかりました。
「平野さん、本気でがんばってますよ〜!」

夕方からの市議団生活相談会では;
予約が4人、都合で1人キャンセルがありましたが3人の方が相談に来られました。
Tさんは時間待ちの間、ずっと話し続けました。
なんでこんな弱いものいじめの社会になってしまったのか。今年2月、75歳になって、後期高齢者の制度に無理矢理入れられた。これまで退職者保険制度だったのに。この7月からは保険料や市県民税で5万円以上払って、家賃や要るもん合わせて10万円払ってしまったら、残りでどうやって生活しろというのか...若い時辛抱して働いてきたのに今になってひどいわ...いったい誰が決めたん?

順番がくるまで、平和行進で歩いてきたこと、食べ物には消費税やめてほしいなどテーマはどんどん広がりました。

あたりまえの生活を望んでいるんだと訴えるTさん。ほんとにそうですよね!
日本の政治もみんなで前に動かしましょう!

2009年7月16日木曜日

平和を守り続ける!

呉川町の「希望のりんご」が色づきはじめました。

復興と希望のシンボルとして「この町・花の街・作戦」実行委員会が呼びかけ、それにこたえ全国から寄せられた資金で1997年に苗木が植えられました。99年から収穫できるようになり、今年も可愛いりんごを実らせています。(→註)

弘前のお盆のお墓参りには、こんな早生りんごが入ったお供え物を祖母も母も用意してたっけ...


今朝の駅での宣伝は、日差しが暑かった!
今日はネクタイ姿のさわやかな青年Uさんの参加もあり、元気な後援会でチラシを配ることができました。


夕方は芦屋原水協の会議へ。
  • オバマ米大統領の「核のない世界」をめざすという4月の演説について、意見交換。
  • 9日平和大行進が無事芦屋を通過。市長と市議会議長のメッセージも。芦屋九条の会も初参加で、210人のつどいと160人が東灘に向けて行進。西宮からの行進者は、市民参画課のお茶接待でお世話になりました。
  • 原爆症裁判と被害者の会の近況報告に胸が詰まりました。
今年3月19日に亡くなった女性(夫さんからの聞き取りから)。

4歳の時に2.5キロあたりで被爆。お母さんはガラス破片が体内に残ったままだったと。
申請したら認定される条件が充分あったが、ずっと申請せずにいた。
「お金が欲しいのではない、認定してほしいだけ」とがん闘病の末、去年7月申請。
今年2月から1ヶ月ほど自宅療養。3月20日会の総会案内を郵送したが、23日に夫さんから連絡が入る。3月19日息を引き取ったと。
女性は「お父さんありがとう」と毎晩夫に言うようになり「なんで?」って聞くと、「明日の朝は、目が覚めないかもしれないから...」。
そんなことが三晩続いて、四日目の朝に口の端に血が付いていて亡くなっていたと。胸を抑えたら、口から血が噴き出した...

被爆者の会は昨年、芦屋の被爆者の会員72人にアンケートをとる。その中で原爆症申請できると思われる人8人に被爆手帳取得のお知らせを送る。うち、6人が申請し、今年認定された人は3人。その3人のうちのひとりが前述の女性。

報告してくださった被爆者の会会長の千葉さんも、爆心地から2.5キロ地点で被爆。縁側の下から爆風が吹き上げ、畳がにょきにょき立っていてタンスの引き出しが飛び出していた...被爆64年経った今も、千葉さんのお話から悲惨な状況が想像できます。

千葉さんはひろしま被爆の語り部として、現在さまざまな場で活動中。今年の夏は、芦屋原水協で「被爆体験と芦屋での平和運動の歴史をきく会」をひらきましょう!ということになりました。


それにしても、東京都議会選挙の結果から思うのは、平和憲法を改正するという民主党が大きくなるなかで、なんとしても憲法9条は守り、改正させてはならないということ。

核兵器廃絶の署名活動を日本でもいち早く立ち上げた芦屋の平和の思いを守り続ける責任が今生きてる私たちにあるんだよね!



註:「希望リンゴ」が植えられた経緯などについては、この運動をすすめている「夢遊人の広場」をご覧ください。http://www1.ocn.ne.jp/~yume123/yumeyuujinn.htm

2009年7月14日火曜日

夏本番! いよいよ総選挙!

7月5日、兵庫知事選と西宮県会議員補欠選挙が終わり…小学校の個人面談…52回目の平和大行進…平野貞雄衆議院7区予定候補と後援会、市議団街頭宣伝…ほっとすぺーす潮見定例会…コミスクバーベキュー…中学校の三者面談などなど…慌ただしく毎日が過ぎて...

日曜日の12日、お留守番が続いてふてくされ気味の三男と阪神御影の市場、駅前のショッピングセンターに。途中夫も合流して「ダブルアイス 今だけもれなくトリプルのサービス!」というのに魅かれて息子も夫(「私はつきあわされただけです」←夫による注釈)も私も! リフレッシュしました。



そして昨日… 総選挙のニュース。7月21日解散、8月30日投票。
いよいよ、お待ちかね平野さんの出番です!


夕方、JR芦屋駅南での反応はとても良く、総選挙スタートといった雰囲気を感じます。「がんばってください」のかかる声は力強く、「今度はおたくしかない」と話す若い男性、「見本紙ちょうだい」と新聞やチラシを取りにくる人も。


「政治を変えたい」という人のねがいは、単なる政権交替ではなく、「今の生活をなんとか良くしたい「展望ある社会にしてほしい」ということです。

自民も民主も違いがない、むしろ同じ...と思う人は多い。そして、同じなのが憲法改正、消費税増税、衆議院比例定数削減…これで生活が良くなるかどうか...

海外で戦争づくり、買い物の度に高い消費税、少数党しめだす二大政党。
こんな日本の進路はごめんです!


明日からの活動で、そこんところを分かりやすく言えるようにならなくては...

日焼けに気をつけて、頑張りましょう!!

2009年7月2日木曜日

生活のすみずみに憲法を!


日本共産党の都築研二県議会議員が去年7月6日なくなって一年。憲法を守り、平和を守るために活動してきた県会議員つづき研二さんの熱い思いを しっかりと引き継いでいけるように私も頑張らなくちゃ!

つづき研二議員には、潮芦屋浜の信号機設置でとっても力になっていただきました。「信号をつけることは、このまちに住んでいる人にとっては、まちづくりなんだ」と、住民と一緒に、すぐに県企業庁と県警に対して交渉をしてくださった行動力、頼もしさは忘れられません。県下どこでも、住民運動あるところにつづき研二ありでした。

昨日は西宮北部名塩あたりへ、平野貞雄さん(衆院7区予定候補)たちと出かけました。昼食は支持者の方宅でいただきました。野菜たっぷり、焼き肉のごちそうに元気が出ました。最後のなすびはもちろん大好物の平野さんがパクリ!(平野さん、実はとってもフレンドリーです)

今日は、尼崎市会議員の、よしむらたまみさん(下の写真の左)と、途中で衆議院比例予定候補の瀬戸恵子さん(写真中央)が加わって、3人の“きれいどころ”で頑張りました。

7月から始まった県の福祉医療助成制度の改悪で、高齢者や障害者、母子父子家庭などの医療費負担が増え、大変です。憲法の理念が輝く兵庫県政に変えなくては。とくにつづきさんまで41年間途絶えることがなかった西宮の日本共産党議席を復活させ、西宮から県政を変える力を大きくしたい。

西宮では、市民の運動と日本共産党市議団の議会内外の取り組みが実り、来年7月から子どもの医療費は中学までに無料になります!(でも、県の助成制度改悪で所得制限が強まり、これまでなら助成が受けられていた1500人もが対象外になります)。

芦屋でも、子どもの医療費を無料化できるよう、これからも取り組んでいきます。そのためにも、明日、あさっては、ひたすら西宮で、汗をながしてきましょう!


今年20歳になって、初めて投票する長男、「時間ないし、行くのどうしようか...しゃあない今から、帰るわ」と京都から投票のため帰ってきて、県知事選挙期日前投票へ。
次男「なんで18歳で(選挙権が)ないんや。俺、来年就職して給料もらって、税金払っても、選挙権ないんじゃ、意味ないし...」
母「だよね〜18歳で働く青年は立派な社会人だよね!」
まともなこと言えるようになって、頼もしくなっていく子どもたちです。