2011年5月10日火曜日

東日本大震災、宅地被害への公的支援が必要に

仙台つどいの家



造成した盛土が写真左側の沢に滑り地割れ発生
高台に仙台つどいの家がある



余震で天井崩落
9日から12日までの予定で、仙台つどいの家でボランティアをしています。

8日夜7:30大阪発の高速バス出発
9日朝8時前に仙台到着、駅前ミスドで軽く朝食
市営地下鉄とバスで9時頃つどいの家に到着

園庭での職員打ち合わせに間に合い、挨拶してさっそく義援金と靴下などを渡す。下郡山和子施設長が最初の職員と紹介してくださり、照れてしまう。
(29年前、無認可のつどいの家は、利用者10名、施設長と職員1名でスタート。現在は市内7箇所の施設と生活支援、相談事業やレスパイト事業などで、職員180名にも及ぶ。)

午前は、下郡山施設長から、施設内と周辺の被害の説明を聞きながら歩いてまわる。
施設がある南光台あたりは、地すべりや地割れ、液状化とその影響で傾く家や亀裂が走り住めないなど避難区域に指定される場所もあるなどかなり深刻な状況。
施設長は「津波の被害があまりにも深刻で、このあたりの被害は大きくてもほとんどニュースにとりあげられない。でも大きな余震でも起きれば、かなりの被害になるかも」
建物被害だけでなく、宅地被害への公的支援が今後必要だ。

午後は、過去の資料整理(なんと、私の初任給の給与支払い証明書や市への手書き要望書まで出てきて、29年前にタイムスリップ)
夜は、レスパイトの宿泊棟に利用者さんと支援員さんと3人で枕を並べて寝る。

10日
朝5時ごろ震度1の余震あり。ドキッとして目が覚める。
雨が降ってたらしいが、開所時間の9時には晴れてさわやか。
今日は利用者さんとバスに30分乗り、若林区のつどいの家へ。
懐かしいTさん、Tさん、Nさん、Kさんに会う。
口癖も、しぐさもみんなちっともかわっていない。いいえ、ちょっとお互い白髪が増えたかな・・・
同年代なので、同窓会のよう。

午後仙台つどいに戻ってから、市役所の日本共産党仙台市会議員団へ。
福島議員団長、辻畑事務局長と被害の状況や懐かしい話をしている中でも、花木議員、高見議員は当局へ出かけ、嵯峨議員、ふなやま議員も忙しそう。
東部沿岸の水田2,100ヘクタールのうち約9割の1900ヘクタールが津波の被害を受けて、またできるようになるには最低5年かかるそう。
帰り際に、逆にお土産をいただく。

夜は、施設長と近くのイタリアンレストランでパスタをご馳走になる。
なつかしい話に花が咲きっぱなし・・・
今晩はレスパイト利用なし。宿泊棟にひとりで泊まる。

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