2015年1月3日土曜日

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

久しぶりの投稿ですが、
今年から、心機一転ブログをリニューアルします。

新しいブログのURLは
↓です。

http://sizukablog.blogspot.jp/


今後とも宜しくお願いします。

2011年5月17日火曜日

東日本大震災は津波災害と地盤災害そして原発事故

地盤が割れて傾く仙台つどいの家
荒浜海岸から約3㌔、津波を冠った竹は茶色に枯れている
4月12日夕方、小雨降る中車から被災地を撮る。仙台つどいの家の下郡山施設長のご主人が若林区の民生委員をされていることもあり、車で荒浜から閖上、名取港へと連れて行ってもらう。二ヶ月経っているのに、あまりの状況に声も出ない。
車から下りると、雨と潮風と野焼きのにおいがする。
車中、いろんな話を伺った。

 大津波 
海岸から堤防を超えて、まず頑丈な貞山堀(ていざんぼり)で一度弱くなり、仙台平野から東部道路でせき止められた。しかし、ガードの下をくぐって更に先に進んでいった。

 生死を分けた奇跡
とにかく車で逃げたという男性。が、そのうち津波に追いつかれ、のまれて車から放り出された。津波の中は泥。泥の中でみたものは...人間が絡み合いながらだんごになって流されていく姿。気を失い、気がつけば頭だけ泥の地面から出ていた。やっとのことで這い上がり、家を探して歩き、たどり着く。家族は泥の姿で最初は気づかなかったが、ご主人だとわかる。身体にまとわりついている髪の毛をみて、これはただごとではなかったんだと奇跡的な生還を喜んだ。下郡山さんはその後、さらにお話を伺おうとその男性を訪ねたが、精神的に錯乱して話せる状況ではなかったとのこと。

 津波や原発を思うと地盤のくずれはまだまし?!
仙台市のなかでも仙台つどいの家がある南光台は、仙台西断層が走っているとかで特に地盤の崩れがひどい。しかし、広範囲の災害と津波や原発の深刻な状況があるために、地盤災害はがまんせねばと思わされている。30年ほど前に開発造成した会社は倒産し、責任をとれる状況ではない。しかし、なんらかのことをしてもらわないと個人の家も施設もどうもできない。

高速バスに乗って、タイムスリップしてきたような感覚が今でも残り、あまりにも悲惨な場面が正直いって頭から離れません。やっと選挙後の残務をやり終えなければと思うようになりました。

海岸から2㌔あたり。水田のところどころに重機で集められたがれきが山積している

津波をせき止めた東部道路


電線のない鉄塔と同じ方向に倒れたままの電柱


堤防の向こう側は荒浜海岸

名取港の近くには数隻の船がまだある


長浜の松は無惨な姿に
建材を運ぶフェリーが着く名取港、2階以上は津波でえぐるようになくなった
道の両脇には住宅やお店があったに違いない
はかりしれない津波の威力だ
重機が足りず撤去が進んでいない
車も農機具も津波で流され、だんごのように丸くなっている
三隻の船がそのまま

2011年5月11日水曜日

「つどいの家の記録」より&身体のケアは心のケア

11日 午前午後とも資料整理
「つどいの家」開設準備からの貴重な資料も発見。
重度障がい児・者も豊かに生きる権利があると運動を築きあげてきた歴史を目の当たりにし、当時の家族の思いに触れ、胸が熱くなる。
一部を紹介します。(他への無断転載はしないでくださいね)

つどいの家の記録
母と子がいきいきと生きるために
仙台市重症心身障害児(者)を守る会  昭和58年2月20日発行

圭子
「鉄の肺」で生命を得た
圭子だったけど
重い障害児になるんだからと
誰にも好かれる子に
ならなければだめよ と
そればかり 言いつづけて

かあちゃんは
お前を 育ててきた・・・
誰にでも温和な安堵を
与えることに
精一杯の圭子

何事もただ頬笑んで
受け入れてしまう 圭子

決して「いや」と
いわなくなってしまった
やさしい圭子に
いま
かあちゃんは 深くわびるしかない
(原文のまま)

現在圭子さんは、ご両親が運動で開設された施設に入所。お父様は亡くなられ、お母様は併設されている高齢者施設で暮らしています。
つどいの家で最年長の圭子さんは、絵本を読み、編み物をし、布ボール用のウレタンちぎりの仕事もするなど積極的に活動を楽しむ毎日でした。今のつどいの家の活動なら、当時よりもっと生き生きと過ごしていると思うのですが・・・

夕方、職員さんむけに簡単なフットケアのにわか講習会
綿棒を使っての爪のマッサージは好評でした。
震災後2か月経ち、職員さんも利用者さんや家族も疲れがだいぶたまる頃。
身体のケアは心のケアなのよ・・・昔の職員からのメッセージ
いろんな活動の場面で試してみてねと、職員さんに体験してもらいながらのなごやかなひととき。笑顔がやさしい職員さんばかりでした。

はやくも明日でお別れです・・・

2011年5月10日火曜日

東日本大震災、宅地被害への公的支援が必要に

仙台つどいの家



造成した盛土が写真左側の沢に滑り地割れ発生
高台に仙台つどいの家がある



余震で天井崩落
9日から12日までの予定で、仙台つどいの家でボランティアをしています。

8日夜7:30大阪発の高速バス出発
9日朝8時前に仙台到着、駅前ミスドで軽く朝食
市営地下鉄とバスで9時頃つどいの家に到着

園庭での職員打ち合わせに間に合い、挨拶してさっそく義援金と靴下などを渡す。下郡山和子施設長が最初の職員と紹介してくださり、照れてしまう。
(29年前、無認可のつどいの家は、利用者10名、施設長と職員1名でスタート。現在は市内7箇所の施設と生活支援、相談事業やレスパイト事業などで、職員180名にも及ぶ。)

午前は、下郡山施設長から、施設内と周辺の被害の説明を聞きながら歩いてまわる。
施設がある南光台あたりは、地すべりや地割れ、液状化とその影響で傾く家や亀裂が走り住めないなど避難区域に指定される場所もあるなどかなり深刻な状況。
施設長は「津波の被害があまりにも深刻で、このあたりの被害は大きくてもほとんどニュースにとりあげられない。でも大きな余震でも起きれば、かなりの被害になるかも」
建物被害だけでなく、宅地被害への公的支援が今後必要だ。

午後は、過去の資料整理(なんと、私の初任給の給与支払い証明書や市への手書き要望書まで出てきて、29年前にタイムスリップ)
夜は、レスパイトの宿泊棟に利用者さんと支援員さんと3人で枕を並べて寝る。

10日
朝5時ごろ震度1の余震あり。ドキッとして目が覚める。
雨が降ってたらしいが、開所時間の9時には晴れてさわやか。
今日は利用者さんとバスに30分乗り、若林区のつどいの家へ。
懐かしいTさん、Tさん、Nさん、Kさんに会う。
口癖も、しぐさもみんなちっともかわっていない。いいえ、ちょっとお互い白髪が増えたかな・・・
同年代なので、同窓会のよう。

午後仙台つどいに戻ってから、市役所の日本共産党仙台市会議員団へ。
福島議員団長、辻畑事務局長と被害の状況や懐かしい話をしている中でも、花木議員、高見議員は当局へ出かけ、嵯峨議員、ふなやま議員も忙しそう。
東部沿岸の水田2,100ヘクタールのうち約9割の1900ヘクタールが津波の被害を受けて、またできるようになるには最低5年かかるそう。
帰り際に、逆にお土産をいただく。

夜は、施設長と近くのイタリアンレストランでパスタをご馳走になる。
なつかしい話に花が咲きっぱなし・・・
今晩はレスパイト利用なし。宿泊棟にひとりで泊まる。

2011年5月8日日曜日

芦屋から仙台にたくさんの思い届けてきますね

今晩、大阪発高速バスで出発予定です。
日本共産党芦屋後援会の方、ママ友のみんなに呼びかけたら、多くの方が義援金に協力してくれました。
写真は、先日ブログにのせた90歳のおばあちゃん手作りの靴下10足とアクリルたわしです。
「こんなおばあちゃんが作ったものだけど、むかし神戸空襲でなにもかもなくした時に、親戚やいろんな人に食べさせてもらってお世話になったの。遅くなったけど、これでそのお返しがやっとできるわ」そう言って私に託してくださったものです。車いすを利用されている方に使ってもらおうかと思ってますが、気に入ってもらえるでしょうか。
阪神淡路震災の時、仙台のうたごえの店「バラライカ」の方々が、神戸北区の仮設住宅でコンサートをしてくださいました。呼びかけたのは、私も入っていた新日本婦人の会神戸北支部。
藤原台の仮設住宅内の集会室で、子どもや大人が楽しく過ごしました。今度はそのお返し、そう言ってお願いにまわったら、たくさん協力してくださいました。
「仙台つどいの家」には、義援金10万円と靴下など届けてきます。
仙台の様子など伝えるためにノートパソコン持参しますが、うまくいくでしょうか...
では、そろそろ出発です。

2011年5月6日金曜日

「こどもの日」の宣伝行動

選挙後、駅頭や地域で宣伝していると「選挙ご苦労さん」「3人揃って良かった」など声をかけていただき、元気をいただいてます。

今日は「こどもの日」
特に今年は、被災地での子どもたちのいのちと暮らしを守るために私もがんばらなきゃと、2か所で後援会の皆さんと宣伝行動。
「被災地の避難所では、赤ちゃんはじめ子どもたちが2ヶ月近く暮らしていて限界です・・・」とマルハチ前で話していたら、
選挙中にお話したことのある91歳のおばあちゃんから
「おめでとう、よくがんばったわね」と励ましてもらいました。
さらにおばあちゃんは、「私の人生はいいことがなかった。戦争と2度の震災で、結婚するはずだった4人の男性はみな次々と戦争で死んで、結局私はひとりのままよ」と。これまでの91年間をさらりと話されましたが、子どもに日には特別に考えるところがあるのかもしれません。

子どもの笑顔のためなら、大人はがんばる!
子どもたちの笑顔が曇らないように、医療や保育、教育の充実のためにこれからも取り組んでいかなければ。

おしらせ
いのちを生みだす母親は いのちを育て いのちを守ることをのぞみます
第35回 芦屋母親大会
2011年5月29日(日) 13:30~16:30
芦屋市民センター401号室

13:30~さくらんぼ合唱団、芦屋の民話
14:30~講演「希望の未来と地球を子どもたちに」
今こそ、いのちをはぐくむ土台づくりをみんなですすめましょう!
講師:小川嘉憲さん 元西宮市中学校教師 元関西学院中学講師、兵庫県地球温暖化防止活動推進委員、コープこうべ環境学習ボランティア、著書「優しい学校はいかが」文芸社「輝く笑顔ふたたび」清風堂ほか
参加費:500円
主催:芦屋市母親大会実行委員会 後援:芦屋市 芦屋市教育委員会

2011年5月5日木曜日

「仙台つどいの家」被災で資金不足、梅雨をどう過ごすか

重い障がいがあっても、その人の思いを実現しながらその人らしく地域で住み続けられることにこだわる・・・29年前、仙台の東北福祉大学で障がい児教育を学んでいたときに出会った「仙台つどいの家」施設長下郡山和子さんの言葉。
描いた夢は必ず実現させる・・・そんな情熱的な生き方に多くのことを学びました。
卒業後すぐにつどいの家に就職。重い障がいのある子を育てながら、運動されている下郡山さんはじめお母さんたちは底抜けに明るく、頼りない私を指導員というよりは、娘のように受け入れてくれました。
「仙台つどいの家」は誰もがつどえる場所でした。今もきっとそうだと思います。
当時は法人化にむけての活動、訓練と作業や療育の取り組み、資金づくりのバザーなど親の会も職員もボランティアもみんながつどい、居場所づくりとしての熱いものがありました。

その施設が、3.11の大震災で大変被害を受けている。どんなにか大変だろうかと思うと30年ほどもご無沙汰していたのに気持ちは落ち着きませんでした。
各施設が大きな被害を受け、資金不足で大変だと。
電話連絡したその日、高橋ちづ子衆議院議員と福島かずえ仙台市議が調査にきたとお話を伺い、なんと次の日の赤旗には、調査の記事が掲載されてました。(詳しくは5/3付)

4/7の余震では、天井が崩落した施設もあり、梅雨を前に工事が急がれる
震災で休所したため、障害者自立支援法のもとでの日額払いの支援費では資金不足
地盤被害に対する支援制度がないなど再建には多額の費用がかかる
記事を手にカンパを訴え、現在集まりつつあります。出発するまで頑張りましょう。
ご協力いただける方は、ホームページをご参照か下記まで

「仙台つどいの家」支援のための義援金のおねがい
七十七銀行 沖野支店 普通預金 9121552
社会福祉法人 つどいの家   理事長 下郡山徹一
連絡先:℡022-781-1571  FAX022-781-1572

5.2芦屋たそがれメーデー

下書きのまま2日が経ってしまって、書き終えたのは4日ですが...
1日遅れの芦屋たそがれメーデー。
今年は3人揃っての参加でした。
会場からの一言で、市職員の石巻市炊き出し報告には胸が詰まりました。
東北の人はホントに厳しい生活の中でがまんしながらも、ボランティアをやさしく受け入れて頑張っている と。
被災地には第6陣の市職員が派遣されています。

年金者組合の皆さんの手作りランタンで、JR芦屋までデモ行進。あたりは薄暗くなって 、ろうそくの明かりがとってもいい感じ。
住民の立場での被災地復興を!平和憲法守れ!雇用を守れ!
でも今年はまさかの自粛か、シュプレヒコール無しのデモ行進。道行く人には、なんの行進?!って感じでみられました。