「つどいの家」開設準備からの貴重な資料も発見。
重度障がい児・者も豊かに生きる権利があると運動を築きあげてきた歴史を目の当たりにし、当時の家族の思いに触れ、胸が熱くなる。
一部を紹介します。(他への無断転載はしないでくださいね)
つどいの家の記録
母と子がいきいきと生きるために
仙台市重症心身障害児(者)を守る会 昭和58年2月20日発行
圭子
「鉄の肺」で生命を得た
圭子だったけど
重い障害児になるんだからと
誰にも好かれる子に
ならなければだめよ と
そればかり 言いつづけて
かあちゃんは
お前を 育ててきた・・・
誰にでも温和な安堵を
与えることに
精一杯の圭子
何事もただ頬笑んで
受け入れてしまう 圭子
決して「いや」と
いわなくなってしまった
やさしい圭子に
いま
かあちゃんは 深くわびるしかない
(原文のまま)
現在圭子さんは、ご両親が運動で開設された施設に入所。お父様は亡くなられ、お母様は併設されている高齢者施設で暮らしています。
つどいの家で最年長の圭子さんは、絵本を読み、編み物をし、布ボール用のウレタンちぎりの仕事もするなど積極的に活動を楽しむ毎日でした。今のつどいの家の活動なら、当時よりもっと生き生きと過ごしていると思うのですが・・・
夕方、職員さんむけに簡単なフットケアのにわか講習会
綿棒を使っての爪のマッサージは好評でした。
震災後2か月経ち、職員さんも利用者さんや家族も疲れがだいぶたまる頃。
身体のケアは心のケアなのよ・・・昔の職員からのメッセージ
いろんな活動の場面で試してみてねと、職員さんに体験してもらいながらのなごやかなひととき。笑顔がやさしい職員さんばかりでした。
はやくも明日でお別れです・・・
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