2011年3月13日日曜日

なつかしい仙台、多賀城の町が大地震で壊れてしまう...

世界最大の大地震でこのブログを再開するとは思ってもいませんでした。
でも、こうなったら更新しかありません。
なつかしい仙台や塩釜、多賀城、荒浜海岸が大地震の揺れと津波で変わり果ててしまったのですから...
テレビの画面に次々と映し出されていくなつかしい小学校や体育館の名前がきこえてくると、知っている人が写るだろううかとじっと見入ってしまいます。
もし知り合いが写っていたとしても、仙台を離れて25年、分かるはずもないのですが...それでも、テレビの画面に写る避難所や津波で押し流された材木や車、家のがれきや泥だらけの建物をみると胸が張り裂けそうです。

仙台の福祉大だったので、先輩や友人が仙台や塩釜、多賀城、福島にたくさんいるんです。
障害者の施設で働いていたので、当時の利用者さんの顔が思い出されてどうしているかと気がかりです。でも、電話はつながらず、友人や知人にはまだ連絡がつきません。無事でいてほしい...祈ってます。
実家の弘前もかなり揺れたようです。78歳の母は一人暮らしです。強い余震が恐く、お向かいのお家で 1日過ごしたようです。電気はきのう復旧し、夜も明るくなってほっとしたと言ってました。20数年前の宮城沖地震を仙台で体験している青森の姉も強い余震が恐しいと夜起きて、夜が明けて明るくなったら安心して眠れると言ってました。
妹家族は習志野、妹の子どもはひたちなかで一人暮らし...
広範囲で起きた地震だけに、家族親戚それぞれ無事を確認するのに2日間かかりました。幸いみんな連絡がとれてほっとしましたが、妹のところは、家の前に地割れができたと怖がっていました。

一瞬で、町も人ものみこんでしまう津波ってほんとに恐ろしい...
さらに大規模火災と原発事故による被爆という はかりしれないほどの被害です。
 昨日から、友だちからたくさんのお見舞いメールが届き、今何したらいい?と言ってもらってます。私自身すぐにでも仙台にとんでいき、働いていた施設で何か役立ちたいと思うのですが今はできません。救援の募金行動を始めました。昨日は党主催の潮見つどいで約1万9千円、今日は党と後援会のみなさんとJR芦屋南口で約6万円。昨日もJR芦屋北側で木野下議員、平野前議員と後援会の皆さんとで訴え、約6万円以上の募金がありたくさんのご協力をいただいたとのこと。本当に感謝します。しっかり被災地に届くようにしていきます。
日本共産党は地震当日すぐに対策本部を立ち上げて、被災地にむけて調査に行き、全国各地で救援募金活動を始めています。1分でもはやく、1人でも多くの人の救援を祈りながら...
引き続き、被災者の皆さんへの救援募金に 是非ご協力ください。

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