あたたかい声援を受けて、27日事務所開きをしました。
日頃から何かとお世話になっている後援会の皆さんが集まり、今度も頑張れと応援していただいて、この期待に応えられるよう頑張ろうと気も身も?!引き締まりました。「高齢者のバス半額助成制度復活や信号機などすぐ実現できて助かったよ〜」「一期目、よくがんばった」などの応援の言葉がなによりの元気のもと!
そして、何よりも今回の選挙は、大震災の救援・復興を柱に、地域の災害に強いまち、福祉やくらしをまもるまちにしていくことが問われています。芦屋でも埋め立て地、高層住宅、核家族、一人親世帯、高齢化など...地域には課題山積。 これから一ヶ月間頑張って、市民の願いかなう市政をいっしょにつくっていきましょう!
実は、こんなことを訴えたつもりですがどうだったかな。
ちょうどお昼に終了。昼食は、私が夕べから下ごしらえをして今朝早くから準備をしていたお寿司などを召し上がって頂きました。
メニューは...お稲荷さん、ちらし寿司、筑前煮
どれも弘前の実家ではハレの日などに食べるなつかしい味です。
・紅しょうが入りのお稲荷さん
・甘辛く煮たホタテがちらしてあるちらし寿司←関西ではばら寿司と言うようですが、東北ではちらし寿司ですよね。
・筑前煮←弘前の田舎では煮しめといって具材は結構大きめで、単品で煮含めますが、神戸の義母さんは一口大で、一緒に煮絡める感じ。 いつの間にかこちらが簡単にひとつのお鍋でできるので、義母さん風筑前煮が我が家の味に。
2時からの浜風集会所でのつどい、その後は3時半からのアナウンサーさん・運転手さんのための研修。三男の保育所時代のお母さん方が前回よりも増えて、たくさん手伝ってくださることになり、ホントに頼もしく、嬉しい限りです。大感謝!
夜7時からは、来年度ほっとすぺーす潮見(集会所での県民広場事業) のスタッフ打ち合わせ。朝から、忙しい一日でした。
2011年3月29日火曜日
2011年3月26日土曜日
被災地支援・復興、福祉・防災のまちづくりを
24日、12都道県知事選挙が告示され、いっせい地方選挙がスタートしました。
芦屋市議会選挙も一ヵ月後。
かつてない大震災と大津波、そして原発事故がおきて行われる選挙です。
全国的には被災地の救援・復興に全力をあげます。ここ芦屋では、私たち市民ができる支援に取り組みながら、潮芦屋、浜芦屋という海岸に近い町の防災を再考して、「福祉とくらしいちばんの自治体」づくりめざしてがんばります。
森しずか事務所開き日程がようやく決まりました。
3月27日(日) 午前11時~11時半
潮見町7-9 ℡38-8930
潮見西サブセンター、前回と一緒の場所です。
ぜひ、お近くの方はお越しください。
同日、つどいもあります。
2時~3時半 浜風集会所 ざっくばらんに話しましょう。
芦屋市議会選挙も一ヵ月後。
かつてない大震災と大津波、そして原発事故がおきて行われる選挙です。
全国的には被災地の救援・復興に全力をあげます。ここ芦屋では、私たち市民ができる支援に取り組みながら、潮芦屋、浜芦屋という海岸に近い町の防災を再考して、「福祉とくらしいちばんの自治体」づくりめざしてがんばります。
森しずか事務所開き日程がようやく決まりました。
3月27日(日) 午前11時~11時半
潮見町7-9 ℡38-8930
潮見西サブセンター、前回と一緒の場所です。
ぜひ、お近くの方はお越しください。
同日、つどいもあります。
2時~3時半 浜風集会所 ざっくばらんに話しましょう。
2011年3月23日水曜日
卒業生半数が進路あきらめざるを得ない中学校も...
今日の「赤旗」記事を読んで、朝から涙がでました。
*沿岸部の中学教員からの手紙(注)
「・・・親も家もなくして、4月から高校進学するのに制服もなく、通学もできず、学習用品もなく、もしかしたら進学をあきらめざるを得ない生徒が卒業生の半数にのぼりそう・・・子どもには、教育と明るい未来が必要・・・」
被災地でこそ、将来のためにも希望する卒業生には、高校進学の保障を!
*福島南相馬市では
「市の大部分が屋内退避地域。その地域の住民の早期避難がすすめられているが、介護が必要な高齢者は移動できず、取り残されている。寝たきりの方の家族は、避難所に連れて行くことができず、退避指示の出ている地域に時折戻って、介護を続けてきた。半径20~30㌔圏内の屋内退避地域の中には、危険にさらされながらも、避難するか残るか自己判断に任されている。行政が責任もって避難指示とすべき。国や県が責任を果たすべき」と。
震災の日が過ぎて、日が経つにつれて、被災の格差が広がっていくようでここが痛みます。
大学卒業後、当時は、重症心身障害児を守る会「仙台つどいの家」、現在は社会福祉法人「つどいの家」の最初の職員として、働らかせてもらいました。名前のとおり、重い障がいがあっても地域で生活することにこだわりつづけ、親子がつどい、どんな地域の人たちも受け入れるまさにいろんな人が集う「つどいの家」でした。施設ではなにもかも手づくりでしたが、今は施設をたくさん運営する立派な施設になっています。
その「つどいの家」が、大震災で被災。開所できない施設があり、利用者の方は困っています。
是非多くのみなさん 「つどいの家」を応援してください!
詳しくは、ホームページをご覧ください。
(注)この日記を書いた当初、手紙を書かれた方が二戸市の中学校教員だと勘違いしていました。ブログをご覧になった方から「二戸ではないのでは」とのコメントを23日にいただいていたのですが、訂正が今日になってしまいました。ご指摘に感謝するとともに、ご不安をもたらしてしまったことにお詫び申し上げます。
*沿岸部の中学教員からの手紙(注)
「・・・親も家もなくして、4月から高校進学するのに制服もなく、通学もできず、学習用品もなく、もしかしたら進学をあきらめざるを得ない生徒が卒業生の半数にのぼりそう・・・子どもには、教育と明るい未来が必要・・・」
被災地でこそ、将来のためにも希望する卒業生には、高校進学の保障を!
*福島南相馬市では
「市の大部分が屋内退避地域。その地域の住民の早期避難がすすめられているが、介護が必要な高齢者は移動できず、取り残されている。寝たきりの方の家族は、避難所に連れて行くことができず、退避指示の出ている地域に時折戻って、介護を続けてきた。半径20~30㌔圏内の屋内退避地域の中には、危険にさらされながらも、避難するか残るか自己判断に任されている。行政が責任もって避難指示とすべき。国や県が責任を果たすべき」と。
震災の日が過ぎて、日が経つにつれて、被災の格差が広がっていくようでここが痛みます。
大学卒業後、当時は、重症心身障害児を守る会「仙台つどいの家」、現在は社会福祉法人「つどいの家」の最初の職員として、働らかせてもらいました。名前のとおり、重い障がいがあっても地域で生活することにこだわりつづけ、親子がつどい、どんな地域の人たちも受け入れるまさにいろんな人が集う「つどいの家」でした。施設ではなにもかも手づくりでしたが、今は施設をたくさん運営する立派な施設になっています。
その「つどいの家」が、大震災で被災。開所できない施設があり、利用者の方は困っています。
是非多くのみなさん 「つどいの家」を応援してください!
詳しくは、ホームページをご覧ください。
(注)この日記を書いた当初、手紙を書かれた方が二戸市の中学校教員だと勘違いしていました。ブログをご覧になった方から「二戸ではないのでは」とのコメントを23日にいただいていたのですが、訂正が今日になってしまいました。ご指摘に感謝するとともに、ご不安をもたらしてしまったことにお詫び申し上げます。
2011年3月20日日曜日
東日本大震災被災地での子どもたちにも思いを馳せて
市内保育所の終了式が16日、幼稚園卒園式は17日、小学校卒業式18日と続きました。
特に今年の卒業式は、目の前の立派な子どもたちの姿に胸があつくなり、涙があふれました。
被災地では、卒業を迎えるはずの同じような子どもたちがランドセルを残したまま行方不明だとTVで報道されていました。残された家族はどんなにか悔しいことでしょう・・・
潮見小学校の卒業式では、卒業生のメッセージのなかで、何人か将来の夢をいいました。
I want to be... I want to be...
きっと被災地での卒業式に同じように参加するはずだった6年生も
将来なりたい夢があったはず。
2~3日前から、陽光町復興住宅の後援会員さんを支部の方と一緒に訪ねています。
「今回の地震は、私らの震災を思い出して、なんや気がおもくなるわ~」
「被災者の人たちは、今まだハイの状態やわ。これからが大変。みんな元に戻っていくやろ。うちらもかなり大変なときあって、復興の差が出てきたらなんでうちらだけ・・・って思うんよ。そこから落ち込んできて、現実が見えてくる」
「もう日本あかんね」という人もあれば、「大丈夫、日本人は何もない戦後から今の日本をつくってきたのだから、必ずようなる」という人もいる。
さまざまな意見に出会います。
でもこうして復興住宅をたずねることで、当時の大変さと知恵とさらに、今の暮らしの大変さをうかがうことができ貴重な活動です。
私は神戸北区での震災で、ひよどり台や藤原台の仮設住宅訪問の活動はしてきましたが、芦屋の実態は見聞きするぐらいです。
今回のような巨大地震、津波、福島原発事故の影響は環境、人、経済などでどれほどの規模になるのでしょう・・・
被災地の実態にあわせた救援・支援の活動が的確に進むよう願いながら、昨日は市会議員会派超えての芦屋市議会議員団、事務局とで、JR芦屋ぺデストリィアンデッキで救援義援金の募金活動を行い参加しました。
特に今年の卒業式は、目の前の立派な子どもたちの姿に胸があつくなり、涙があふれました。
被災地では、卒業を迎えるはずの同じような子どもたちがランドセルを残したまま行方不明だとTVで報道されていました。残された家族はどんなにか悔しいことでしょう・・・
潮見小学校の卒業式では、卒業生のメッセージのなかで、何人か将来の夢をいいました。
I want to be... I want to be...
きっと被災地での卒業式に同じように参加するはずだった6年生も
将来なりたい夢があったはず。
2~3日前から、陽光町復興住宅の後援会員さんを支部の方と一緒に訪ねています。
「今回の地震は、私らの震災を思い出して、なんや気がおもくなるわ~」
「被災者の人たちは、今まだハイの状態やわ。これからが大変。みんな元に戻っていくやろ。うちらもかなり大変なときあって、復興の差が出てきたらなんでうちらだけ・・・って思うんよ。そこから落ち込んできて、現実が見えてくる」
「もう日本あかんね」という人もあれば、「大丈夫、日本人は何もない戦後から今の日本をつくってきたのだから、必ずようなる」という人もいる。
さまざまな意見に出会います。
でもこうして復興住宅をたずねることで、当時の大変さと知恵とさらに、今の暮らしの大変さをうかがうことができ貴重な活動です。
私は神戸北区での震災で、ひよどり台や藤原台の仮設住宅訪問の活動はしてきましたが、芦屋の実態は見聞きするぐらいです。
今回のような巨大地震、津波、福島原発事故の影響は環境、人、経済などでどれほどの規模になるのでしょう・・・
被災地の実態にあわせた救援・支援の活動が的確に進むよう願いながら、昨日は市会議員会派超えての芦屋市議会議員団、事務局とで、JR芦屋ぺデストリィアンデッキで救援義援金の募金活動を行い参加しました。
2011年3月17日木曜日
仙台のみんなは元気でした!
仙台つどいの家で働いていた時お世話になった施設長さんはじめ、利用されていた方やボランティアの方々に、夜ようやく電話がつながりました。みなさん無事で本当に良かった!
娘さんが入所されている施設が被災し、ちょうど今日娘さんと家に帰ってきたところだと近況を話してくださったなつかしい声のAさん。利用者のNさんともお話ができ、涙がでました。
30年ぶりだよ~と明るい声で当時の元気はそのままのボランティアのHさん。
被災地では、何もかもが不足しています。
娘さんが入所されている施設が被災し、ちょうど今日娘さんと家に帰ってきたところだと近況を話してくださったなつかしい声のAさん。利用者のNさんともお話ができ、涙がでました。
30年ぶりだよ~と明るい声で当時の元気はそのままのボランティアのHさん。
少し早口で勢いのある元気な施設長さんは、地震当日から毎日法人の施設数箇所をまわっていらっしゃったそうで、さっきまで、京都から物資を運んでくれた同じような施設の職員のボランティアさんと一緒だったとのこと。夜10時過ぎ、ようやくおうちに戻ったところに私が電話をしたというタイミングでした。
阪神淡路大震災の時には、電話を頂き励まされました。そのお礼とこの大震災のお見舞いをと思ったのですが、物資不足もあるがなんとしても施設再建の費用を支援してほしいということでした。
4月にオープンする施設のために募金活動をしていたところに、大震災で現在利用している二つの施設が使えなくなり、さらに資金が必要になったと。
いのちを守る救援物資と義援金をはやく被災地に届けないと、助かった命の保障さえなくなってしまう・・・
地球規模の大災害だもの、国の責任でなんとかさせないと・・・
2011年3月16日水曜日
今年度最後「たまてばこ」の読み聞かせ
今年もたくさんの子どもたちと絵本を楽しむことができました。
年明けてからは、1年生から5年生までずっと同じ絵本です。
「つるにょうぼう」
矢川 澄子 再話 赤羽 末吉 画
福音館書店
雪の降った日の読み聞かせには、ぴったりでした。
「雪ふかい山里のはなしです。よ平という、まずしいひとり暮らしの若者がありました。・・・」
開いた最初のページには、雪のなかにぼんやりと浮かぶよ平と つばさに矢をうけてくるしそうにしている一羽の鶴が描かれています。
トーンを落とした声で、情景がイメージできるようにゆっくりとよみます。
ここで、子どもたちの目が絵本にくぎ付けになれば、その先はしめたもの。
声に出して読むといっそう日本語の美しさが感じられる絵本でした。
最後のクラスは、5年2組。
お話の前に子どもたちにこれまでの感謝と思いを伝えました。
絵本をみたり、よんでもらったりしながら、うんと絵本の世界で想像することを楽しんでね
目の前の子どもたちの姿と今の大災害に会ってしまった子どもたちの姿を重ねながら、10分という時間を大切にしなくてはとゆっくりと読みました。
今朝八戸の友人と電話でつながり、無事が確認でき安心しました。
ほかにみんな、無事で避難していますように・・・
年明けてからは、1年生から5年生までずっと同じ絵本です。
「つるにょうぼう」
矢川 澄子 再話 赤羽 末吉 画
福音館書店
雪の降った日の読み聞かせには、ぴったりでした。
「雪ふかい山里のはなしです。よ平という、まずしいひとり暮らしの若者がありました。・・・」
開いた最初のページには、雪のなかにぼんやりと浮かぶよ平と つばさに矢をうけてくるしそうにしている一羽の鶴が描かれています。
トーンを落とした声で、情景がイメージできるようにゆっくりとよみます。
ここで、子どもたちの目が絵本にくぎ付けになれば、その先はしめたもの。
声に出して読むといっそう日本語の美しさが感じられる絵本でした。
最後のクラスは、5年2組。
お話の前に子どもたちにこれまでの感謝と思いを伝えました。
絵本をみたり、よんでもらったりしながら、うんと絵本の世界で想像することを楽しんでね
目の前の子どもたちの姿と今の大災害に会ってしまった子どもたちの姿を重ねながら、10分という時間を大切にしなくてはとゆっくりと読みました。
今朝八戸の友人と電話でつながり、無事が確認でき安心しました。
ほかにみんな、無事で避難していますように・・・
2011年3月15日火曜日
芦屋市の消防士をもっと増やして!
今日の予算特別委員会の総務分科会で。
実は、先週の11日金曜日、まさに地震がおきた2時46分
総務分科会で総務費の部分を審議中、次は消防費というところでした。
船に揺られるような揺れを出席者の多くが感じたと同時に、副市長が「揺れてますよね、地震だね」とひと言。
それからは、市長はまもなく災害対策のため席を立ち、分科会は早めの切り上げで、今日は消防費からということでした。
芦屋市は市条例で消防職員の定員が95人のところ、22年度は90人。これで体制は大丈夫なのか増やしていくべきだと去年要望していました。
今回提案されている23年度では、ひとり増えて91人。救急救命士は27人で、実働24人。救急車1台につき2人の救命士が乗車するそうです。
私は、予想できない大災害が東北関東でおきているこのときに、せめて定員にあわせて実働職員を増やすべきと要望しました。消防側は、定員が増えれば実働職員に当てたい考えですが、市部局側は23年度1人増えるから良しとするような答弁。
被災地の現状を見れば、これで良しとはいえないのはあきらかです。防災力はなによりもマンパワーの充実が一番です。増やす考えなしという市側の答えに、こんなところにまで財政が厳しいというのかとほんとにがっかりしました。
さらに、国の基準では168人が必要とされているのに、充足率は53.6%ということも他の委員の質問で明らかになりました。阪神間並みにもっていくべきではないかと充足率をあげるよう求めていましたが、芦屋は工場や危険性が少ないから大丈夫と副市長が答えていました。
みなさん、悲惨な大地震がおきたこの時期に、芦屋市の防災力をどうみますか?
実は、先週の11日金曜日、まさに地震がおきた2時46分
総務分科会で総務費の部分を審議中、次は消防費というところでした。
船に揺られるような揺れを出席者の多くが感じたと同時に、副市長が「揺れてますよね、地震だね」とひと言。
それからは、市長はまもなく災害対策のため席を立ち、分科会は早めの切り上げで、今日は消防費からということでした。
芦屋市は市条例で消防職員の定員が95人のところ、22年度は90人。これで体制は大丈夫なのか増やしていくべきだと去年要望していました。
今回提案されている23年度では、ひとり増えて91人。救急救命士は27人で、実働24人。救急車1台につき2人の救命士が乗車するそうです。
私は、予想できない大災害が東北関東でおきているこのときに、せめて定員にあわせて実働職員を増やすべきと要望しました。消防側は、定員が増えれば実働職員に当てたい考えですが、市部局側は23年度1人増えるから良しとするような答弁。
被災地の現状を見れば、これで良しとはいえないのはあきらかです。防災力はなによりもマンパワーの充実が一番です。増やす考えなしという市側の答えに、こんなところにまで財政が厳しいというのかとほんとにがっかりしました。
さらに、国の基準では168人が必要とされているのに、充足率は53.6%ということも他の委員の質問で明らかになりました。阪神間並みにもっていくべきではないかと充足率をあげるよう求めていましたが、芦屋は工場や危険性が少ないから大丈夫と副市長が答えていました。
みなさん、悲惨な大地震がおきたこの時期に、芦屋市の防災力をどうみますか?
2011年3月13日日曜日
なつかしい仙台、多賀城の町が大地震で壊れてしまう...
世界最大の大地震でこのブログを再開するとは思ってもいませんでした。
でも、こうなったら更新しかありません。
なつかしい仙台や塩釜、多賀城、荒浜海岸が大地震の揺れと津波で変わり果ててしまったのですから...
テレビの画面に次々と映し出されていくなつかしい小学校や体育館の名前がきこえてくると、知っている人が写るだろううかとじっと見入ってしまいます。
もし知り合いが写っていたとしても、仙台を離れて25年、分かるはずもないのですが...それでも、テレビの画面に写る避難所や津波で押し流された材木や車、家のがれきや泥だらけの建物をみると胸が張り裂けそうです。
仙台の福祉大だったので、先輩や友人が仙台や塩釜、多賀城、福島にたくさんいるんです。
障害者の施設で働いていたので、当時の利用者さんの顔が思い出されてどうしているかと気がかりです。でも、電話はつながらず、友人や知人にはまだ連絡がつきません。無事でいてほしい...祈ってます。
実家の弘前もかなり揺れたようです。78歳の母は一人暮らしです。強い余震が恐く、お向かいのお家で 1日過ごしたようです。電気はきのう復旧し、夜も明るくなってほっとしたと言ってました。20数年前の宮城沖地震を仙台で体験している青森の姉も強い余震が恐しいと夜起きて、夜が明けて明るくなったら安心して眠れると言ってました。
妹家族は習志野、妹の子どもはひたちなかで一人暮らし...
広範囲で起きた地震だけに、家族親戚それぞれ無事を確認するのに2日間かかりました。幸いみんな連絡がとれてほっとしましたが、妹のところは、家の前に地割れができたと怖がっていました。
一瞬で、町も人ものみこんでしまう津波ってほんとに恐ろしい...
さらに大規模火災と原発事故による被爆という はかりしれないほどの被害です。
昨日から、友だちからたくさんのお見舞いメールが届き、今何したらいい?と言ってもらってます。私自身すぐにでも仙台にとんでいき、働いていた施設で何か役立ちたいと思うのですが今はできません。救援の募金行動を始めました。昨日は党主催の潮見つどいで約1万9千円、今日は党と後援会のみなさんとJR芦屋南口で約6万円。昨日もJR芦屋北側で木野下議員、平野前議員と後援会の皆さんとで訴え、約6万円以上の募金がありたくさんのご協力をいただいたとのこと。本当に感謝します。しっかり被災地に届くようにしていきます。
日本共産党は地震当日すぐに対策本部を立ち上げて、被災地にむけて調査に行き、全国各地で救援募金活動を始めています。1分でもはやく、1人でも多くの人の救援を祈りながら...
引き続き、被災者の皆さんへの救援募金に 是非ご協力ください。
でも、こうなったら更新しかありません。
なつかしい仙台や塩釜、多賀城、荒浜海岸が大地震の揺れと津波で変わり果ててしまったのですから...
テレビの画面に次々と映し出されていくなつかしい小学校や体育館の名前がきこえてくると、知っている人が写るだろううかとじっと見入ってしまいます。
もし知り合いが写っていたとしても、仙台を離れて25年、分かるはずもないのですが...それでも、テレビの画面に写る避難所や津波で押し流された材木や車、家のがれきや泥だらけの建物をみると胸が張り裂けそうです。
仙台の福祉大だったので、先輩や友人が仙台や塩釜、多賀城、福島にたくさんいるんです。
障害者の施設で働いていたので、当時の利用者さんの顔が思い出されてどうしているかと気がかりです。でも、電話はつながらず、友人や知人にはまだ連絡がつきません。無事でいてほしい...祈ってます。
実家の弘前もかなり揺れたようです。78歳の母は一人暮らしです。強い余震が恐く、お向かいのお家で 1日過ごしたようです。電気はきのう復旧し、夜も明るくなってほっとしたと言ってました。20数年前の宮城沖地震を仙台で体験している青森の姉も強い余震が恐しいと夜起きて、夜が明けて明るくなったら安心して眠れると言ってました。
妹家族は習志野、妹の子どもはひたちなかで一人暮らし...
広範囲で起きた地震だけに、家族親戚それぞれ無事を確認するのに2日間かかりました。幸いみんな連絡がとれてほっとしましたが、妹のところは、家の前に地割れができたと怖がっていました。
一瞬で、町も人ものみこんでしまう津波ってほんとに恐ろしい...
さらに大規模火災と原発事故による被爆という はかりしれないほどの被害です。
昨日から、友だちからたくさんのお見舞いメールが届き、今何したらいい?と言ってもらってます。私自身すぐにでも仙台にとんでいき、働いていた施設で何か役立ちたいと思うのですが今はできません。救援の募金行動を始めました。昨日は党主催の潮見つどいで約1万9千円、今日は党と後援会のみなさんとJR芦屋南口で約6万円。昨日もJR芦屋北側で木野下議員、平野前議員と後援会の皆さんとで訴え、約6万円以上の募金がありたくさんのご協力をいただいたとのこと。本当に感謝します。しっかり被災地に届くようにしていきます。
日本共産党は地震当日すぐに対策本部を立ち上げて、被災地にむけて調査に行き、全国各地で救援募金活動を始めています。1分でもはやく、1人でも多くの人の救援を祈りながら...
引き続き、被災者の皆さんへの救援募金に 是非ご協力ください。
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