2009年1月18日日曜日

今年で14年目の1月17日

 夕べから三男と朝5時46分には芦屋公園の慰霊と復興のモニュメントに献花に行く予定でしたが、朝何度起こしても起きず、10時過ぎにやっと出かけました。震災後生まれた彼にはどのように心に残っていくのでしょうか。その後、浜風小でのどんど焼きと防災訓練へ。

 三男が小学校の追悼集会後持って帰った学級だよりに載っていた感想のひとつ。
「震災の時、生まれていない。お母さんが大変なことになっているのに生まれていない。お母さんは、ぼくを守ってくれたのか。生んでくれてありがとうと思います」
 子どもっていろんな感じ方をしているのがお便りを読んでてわかるのですが、特にこの感想にはぐっときました。悲惨な状況を先生方から聞くなかで、そこには自分はいなかったけど、それはお母さんがまだ自分を外の世界に生み出さずに守ってくれていたんだと思っている。尊い命は失われたけど、一方で今自分がいることにありがとうと言える子どもってすごいですよね。
 芦屋の被災写真を見るたびに被害の大きさ、恐ろしさを思います。私たち一家は当時は神戸市北区におり、20日後の2月6日に三人目を出産。もし芦屋にいたなら落ち着いた頃に生まれておいでとお腹の子に言い聞かせていたことでしょう。
「命があり、元気に暮らせていられてよかった」と思う子どもたち。その気持ちをずっと持ち続けていきましょう。
 午後は精道小学校に献花に行き、昨年がんの闘病後なくなられたSさんと震災の犠牲になったSさんの息子さん、今は天国できっと一緒に遊んでるよねと声をかけてきました。
 震災後生き残った私たちが次の世代に伝えていきたいこと...「あなたが生きていることが大事、生きていく力を大きくしていこうね」。議会では、災害援護資金の返済に苦しむ人がなお後を絶たない状況が審議されます。もはや14年経った今は生活の保障を優先に進めていくときです、国の責任のもとで。そもそも融資を受けないと生活していけなかったわけだから。

 夜は、浜芦屋自治連合会の新年会が盛大に開かれました。市長、議長、山田みち子県議、国際高校校長、潮見中や小学校長、福祉施設関係や民生委員、地元業者や地元自治連合の方々など勢揃いで、手作りのごちそうでまちづくり30周年をお祝いしました!
「30年前に移り住んだ方の二世が結婚して、今、芦屋浜はふるさととして若い家族も帰ってきている。これからも地域でつながりあって住みやすいまちにしていきましょう」と簡単な挨拶をしてきました。
 正月休みの後、ひどい風邪で三日ほど寝込んでしまい、ようやくエンジンがかかってきたところです。復活後、新年会が続きましたが、明日の潮見のどんど焼きでお正月行事はひととおり終了。来週から民生文教常任委員会の調査が始まります。
 

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