説明する言葉を聞き取って、その意味やお金の動きはわかってきました。しかし、その内容がどういうことか、私たち市民にどんな影響を及ぼすのかを調べて理解するのに、私はまだ結構時間がかかります。
同じ日午後にあった行革委員会の準備、これからの委員会や一般質問の準備などに追われしまい、かなり大変です。
また、請願が今のところ2つ予定:
「原爆症のすみやかな認定と被爆者の救済を求める請願」
「南芦屋浜地区における迷惑行為改善にかんする請願」
いずれも、代表の方が趣旨説明に来られました。
所属委員会の関係で、私も紹介議員で頑張らなければなりません。
「8月6日広島の慰霊祭に初めて参加した時、当時の首相が襲われそうになって、その時の事件の新聞記事があったの。それに偶然、父と母も写ってる」と芦屋被爆者の会会長が茶色になった新聞記事を見せてくださって、
・被爆者の平均年齢が75歳以上になってること
・認定の国基準が厳しく、手帳を持っている方のわずか1%しか認定されていないこと、
・被爆者が亡くなっても、被害はなくならない
...と切々と話してくださいました。
右の写真が当時の新聞記事:昭和46年8月6日付「中国新聞」夕刊
いろいろあるけれど、今の私ができることを、精一杯頑張らなくては....