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2011年5月17日火曜日

東日本大震災は津波災害と地盤災害そして原発事故

地盤が割れて傾く仙台つどいの家
荒浜海岸から約3㌔、津波を冠った竹は茶色に枯れている
4月12日夕方、小雨降る中車から被災地を撮る。仙台つどいの家の下郡山施設長のご主人が若林区の民生委員をされていることもあり、車で荒浜から閖上、名取港へと連れて行ってもらう。二ヶ月経っているのに、あまりの状況に声も出ない。
車から下りると、雨と潮風と野焼きのにおいがする。
車中、いろんな話を伺った。

 大津波 
海岸から堤防を超えて、まず頑丈な貞山堀(ていざんぼり)で一度弱くなり、仙台平野から東部道路でせき止められた。しかし、ガードの下をくぐって更に先に進んでいった。

 生死を分けた奇跡
とにかく車で逃げたという男性。が、そのうち津波に追いつかれ、のまれて車から放り出された。津波の中は泥。泥の中でみたものは...人間が絡み合いながらだんごになって流されていく姿。気を失い、気がつけば頭だけ泥の地面から出ていた。やっとのことで這い上がり、家を探して歩き、たどり着く。家族は泥の姿で最初は気づかなかったが、ご主人だとわかる。身体にまとわりついている髪の毛をみて、これはただごとではなかったんだと奇跡的な生還を喜んだ。下郡山さんはその後、さらにお話を伺おうとその男性を訪ねたが、精神的に錯乱して話せる状況ではなかったとのこと。

 津波や原発を思うと地盤のくずれはまだまし?!
仙台市のなかでも仙台つどいの家がある南光台は、仙台西断層が走っているとかで特に地盤の崩れがひどい。しかし、広範囲の災害と津波や原発の深刻な状況があるために、地盤災害はがまんせねばと思わされている。30年ほど前に開発造成した会社は倒産し、責任をとれる状況ではない。しかし、なんらかのことをしてもらわないと個人の家も施設もどうもできない。

高速バスに乗って、タイムスリップしてきたような感覚が今でも残り、あまりにも悲惨な場面が正直いって頭から離れません。やっと選挙後の残務をやり終えなければと思うようになりました。

海岸から2㌔あたり。水田のところどころに重機で集められたがれきが山積している

津波をせき止めた東部道路


電線のない鉄塔と同じ方向に倒れたままの電柱


堤防の向こう側は荒浜海岸

名取港の近くには数隻の船がまだある


長浜の松は無惨な姿に
建材を運ぶフェリーが着く名取港、2階以上は津波でえぐるようになくなった
道の両脇には住宅やお店があったに違いない
はかりしれない津波の威力だ
重機が足りず撤去が進んでいない
車も農機具も津波で流され、だんごのように丸くなっている
三隻の船がそのまま

2011年5月11日水曜日

「つどいの家の記録」より&身体のケアは心のケア

11日 午前午後とも資料整理
「つどいの家」開設準備からの貴重な資料も発見。
重度障がい児・者も豊かに生きる権利があると運動を築きあげてきた歴史を目の当たりにし、当時の家族の思いに触れ、胸が熱くなる。
一部を紹介します。(他への無断転載はしないでくださいね)

つどいの家の記録
母と子がいきいきと生きるために
仙台市重症心身障害児(者)を守る会  昭和58年2月20日発行

圭子
「鉄の肺」で生命を得た
圭子だったけど
重い障害児になるんだからと
誰にも好かれる子に
ならなければだめよ と
そればかり 言いつづけて

かあちゃんは
お前を 育ててきた・・・
誰にでも温和な安堵を
与えることに
精一杯の圭子

何事もただ頬笑んで
受け入れてしまう 圭子

決して「いや」と
いわなくなってしまった
やさしい圭子に
いま
かあちゃんは 深くわびるしかない
(原文のまま)

現在圭子さんは、ご両親が運動で開設された施設に入所。お父様は亡くなられ、お母様は併設されている高齢者施設で暮らしています。
つどいの家で最年長の圭子さんは、絵本を読み、編み物をし、布ボール用のウレタンちぎりの仕事もするなど積極的に活動を楽しむ毎日でした。今のつどいの家の活動なら、当時よりもっと生き生きと過ごしていると思うのですが・・・

夕方、職員さんむけに簡単なフットケアのにわか講習会
綿棒を使っての爪のマッサージは好評でした。
震災後2か月経ち、職員さんも利用者さんや家族も疲れがだいぶたまる頃。
身体のケアは心のケアなのよ・・・昔の職員からのメッセージ
いろんな活動の場面で試してみてねと、職員さんに体験してもらいながらのなごやかなひととき。笑顔がやさしい職員さんばかりでした。

はやくも明日でお別れです・・・

2011年5月10日火曜日

東日本大震災、宅地被害への公的支援が必要に

仙台つどいの家



造成した盛土が写真左側の沢に滑り地割れ発生
高台に仙台つどいの家がある



余震で天井崩落
9日から12日までの予定で、仙台つどいの家でボランティアをしています。

8日夜7:30大阪発の高速バス出発
9日朝8時前に仙台到着、駅前ミスドで軽く朝食
市営地下鉄とバスで9時頃つどいの家に到着

園庭での職員打ち合わせに間に合い、挨拶してさっそく義援金と靴下などを渡す。下郡山和子施設長が最初の職員と紹介してくださり、照れてしまう。
(29年前、無認可のつどいの家は、利用者10名、施設長と職員1名でスタート。現在は市内7箇所の施設と生活支援、相談事業やレスパイト事業などで、職員180名にも及ぶ。)

午前は、下郡山施設長から、施設内と周辺の被害の説明を聞きながら歩いてまわる。
施設がある南光台あたりは、地すべりや地割れ、液状化とその影響で傾く家や亀裂が走り住めないなど避難区域に指定される場所もあるなどかなり深刻な状況。
施設長は「津波の被害があまりにも深刻で、このあたりの被害は大きくてもほとんどニュースにとりあげられない。でも大きな余震でも起きれば、かなりの被害になるかも」
建物被害だけでなく、宅地被害への公的支援が今後必要だ。

午後は、過去の資料整理(なんと、私の初任給の給与支払い証明書や市への手書き要望書まで出てきて、29年前にタイムスリップ)
夜は、レスパイトの宿泊棟に利用者さんと支援員さんと3人で枕を並べて寝る。

10日
朝5時ごろ震度1の余震あり。ドキッとして目が覚める。
雨が降ってたらしいが、開所時間の9時には晴れてさわやか。
今日は利用者さんとバスに30分乗り、若林区のつどいの家へ。
懐かしいTさん、Tさん、Nさん、Kさんに会う。
口癖も、しぐさもみんなちっともかわっていない。いいえ、ちょっとお互い白髪が増えたかな・・・
同年代なので、同窓会のよう。

午後仙台つどいに戻ってから、市役所の日本共産党仙台市会議員団へ。
福島議員団長、辻畑事務局長と被害の状況や懐かしい話をしている中でも、花木議員、高見議員は当局へ出かけ、嵯峨議員、ふなやま議員も忙しそう。
東部沿岸の水田2,100ヘクタールのうち約9割の1900ヘクタールが津波の被害を受けて、またできるようになるには最低5年かかるそう。
帰り際に、逆にお土産をいただく。

夜は、施設長と近くのイタリアンレストランでパスタをご馳走になる。
なつかしい話に花が咲きっぱなし・・・
今晩はレスパイト利用なし。宿泊棟にひとりで泊まる。

2011年5月8日日曜日

芦屋から仙台にたくさんの思い届けてきますね

今晩、大阪発高速バスで出発予定です。
日本共産党芦屋後援会の方、ママ友のみんなに呼びかけたら、多くの方が義援金に協力してくれました。
写真は、先日ブログにのせた90歳のおばあちゃん手作りの靴下10足とアクリルたわしです。
「こんなおばあちゃんが作ったものだけど、むかし神戸空襲でなにもかもなくした時に、親戚やいろんな人に食べさせてもらってお世話になったの。遅くなったけど、これでそのお返しがやっとできるわ」そう言って私に託してくださったものです。車いすを利用されている方に使ってもらおうかと思ってますが、気に入ってもらえるでしょうか。
阪神淡路震災の時、仙台のうたごえの店「バラライカ」の方々が、神戸北区の仮設住宅でコンサートをしてくださいました。呼びかけたのは、私も入っていた新日本婦人の会神戸北支部。
藤原台の仮設住宅内の集会室で、子どもや大人が楽しく過ごしました。今度はそのお返し、そう言ってお願いにまわったら、たくさん協力してくださいました。
「仙台つどいの家」には、義援金10万円と靴下など届けてきます。
仙台の様子など伝えるためにノートパソコン持参しますが、うまくいくでしょうか...
では、そろそろ出発です。

2011年5月5日木曜日

「仙台つどいの家」被災で資金不足、梅雨をどう過ごすか

重い障がいがあっても、その人の思いを実現しながらその人らしく地域で住み続けられることにこだわる・・・29年前、仙台の東北福祉大学で障がい児教育を学んでいたときに出会った「仙台つどいの家」施設長下郡山和子さんの言葉。
描いた夢は必ず実現させる・・・そんな情熱的な生き方に多くのことを学びました。
卒業後すぐにつどいの家に就職。重い障がいのある子を育てながら、運動されている下郡山さんはじめお母さんたちは底抜けに明るく、頼りない私を指導員というよりは、娘のように受け入れてくれました。
「仙台つどいの家」は誰もがつどえる場所でした。今もきっとそうだと思います。
当時は法人化にむけての活動、訓練と作業や療育の取り組み、資金づくりのバザーなど親の会も職員もボランティアもみんながつどい、居場所づくりとしての熱いものがありました。

その施設が、3.11の大震災で大変被害を受けている。どんなにか大変だろうかと思うと30年ほどもご無沙汰していたのに気持ちは落ち着きませんでした。
各施設が大きな被害を受け、資金不足で大変だと。
電話連絡したその日、高橋ちづ子衆議院議員と福島かずえ仙台市議が調査にきたとお話を伺い、なんと次の日の赤旗には、調査の記事が掲載されてました。(詳しくは5/3付)

4/7の余震では、天井が崩落した施設もあり、梅雨を前に工事が急がれる
震災で休所したため、障害者自立支援法のもとでの日額払いの支援費では資金不足
地盤被害に対する支援制度がないなど再建には多額の費用がかかる
記事を手にカンパを訴え、現在集まりつつあります。出発するまで頑張りましょう。
ご協力いただける方は、ホームページをご参照か下記まで

「仙台つどいの家」支援のための義援金のおねがい
七十七銀行 沖野支店 普通預金 9121552
社会福祉法人 つどいの家   理事長 下郡山徹一
連絡先:℡022-781-1571  FAX022-781-1572

2011年5月2日月曜日

「災害に強いまちづくり」のために

すでに木野下さん、平野さんのブログに紹介されていましたが...
シーサイドダイエー前の宣伝なので、私も。

先日も今日も偶然出会ったMさんから、力強いご意見いただきました。
「災害に強いまちにしていくためには、森さんの言ってたように消防職員をきちっとおいとかなあかん。これ以上職員を減らしたら、災害の時責任もって仕事する人がおらんようになる。」「行革で職員減らして、消防の職員も増やさないとは...日本共産党の話は良かった」
地域でお世話活動をされているMさんだからこそ、災害の時にはどうするのか具体的な対策を選挙公約に求めていたのでした。
今後おきるであろうといわれている南海地震に対しても、液状化や津波対策については、最悪の場合を想定しての専門家や地域の意見を組み込んでいく必要がある...そう訴えてきた以上はしっかりと今回の大震災や原発事故での教訓を勉強していかないと。

被災地では、連休中はボランティアの対応にも大変との様子。
しかも連休明けには、大学生や高校生のボランティアが激減するそうで、また大変と河北新報にありました。
ボランティアに行く予定の「仙台つどいの家」では、とにかく施設の補修費や運営費に困っているとのこと。私も義援金の協力を多くの方にお願いしながら、連休明け行く予定です。

2011年4月27日水曜日

3人の芦屋市会議員団で頑張ります!



これまでの1期4年間は、無我夢中でやってきました。
その活動が評価されるという意味では、2期目挑戦の今回の選挙はこれまで以上に緊張の日々でした。でも、たくさんのママ友が、運転手やアナウンサーを引き受けてくれてどんなに心強かったことか...最終日のおそい駅での宣伝と当選お礼の朝の宣伝にまで参加してくださったその熱い思いには感激でした。
みんな、ホントにありがとう!そして、これからが頑張りどきだよね。
子育て中のお母さんやお父さん、そしてたくさんの願いを議会に届け、活動していきます。これからも一緒に頑張っていきましょう!(写真は17日の出発式の様子)

ご近所やご支援いただいた方々から、「当選おめでとう、3人の議員団になって良かったね〜」と声をかけられます。これからの日本共産党芦屋市会議員団に期待が大きいことを感じます。今日は、神戸の親戚の方からもはがきが届き、「3人当選の快挙!」とありました。待たれていた論客平野さんを迎えて、さっそく今日会議を開き、活動開始です。

選挙疲れがどっと出てしまいそうですが、少し休んでから、仙台へボランティアに行こうと思っています。被災地ではまだまだ手も物資も足りてはいません。少しでも力になって、しっかり学んでこようと思います。
就職活動で帰ってきている長男が、この間ずいぶんと手伝ってくれました。一人暮らしで家事が身に付いて頼もしくなってました。選挙最終日、「野菜がたくさん食べたい!」という晩ご飯リクエストに、パスタとサラダのごちそうが食卓に並びました。
おいしかったよ〜ありがとうね〜!

2011年4月16日土曜日

「しずかだより」はしばらく更新できません

明日から24日までは、選挙期間に入るため、法に規制されて更新することはできません。
選挙準備もなんとか整いました。明日からは、これから取り組んでいきたいことを精一杯訴えていきます。
子育てをして思うこと、共働きで大変だったこと、女性としてもっと充実した人生を...いろんなことを深く考えることができた日々でした。
どれもこれも、家族や女友達、職場や地域の仲間がいてこそ、できたことでした。
自分らしさを追求しながら、あすからまた頑張ります。
たくさんの仲間が選挙準備に駆けつけてくれて、力を合わせてくれてホントに感謝です!
おかあさんパワーで、政治を前に進めていきましょう!

2011年4月2日土曜日

あれやこれやの選挙準備で・・・

4月1日新しい年度の始まり(もはや2日ですね~)・・・我が家がある団地の棟の前の桜は、もはや3分咲きほどに咲き始めました。
いつもなら弘前のさくらを思いながら眺めるのですが、
今年は、大震災に原発事故、そして地方選挙。
それどころではありません。

おとといは、多賀城の友達に連絡がつき、ほんとに良かった。電話したちょうどその日、水道が復旧。家の目の前まで津波が押し寄せてきた時は本当に怖かったと。
友人の職場の坂総合病院は、昨日現在まだ自家発電と井戸水でまかなっていて、被災者と外来の患者さんの診察で大変な様子でした。全国からの支援、応援がほんとにありがたい、助かっていると話していました。

被害の様子を聞くと、すぐにでも行って手伝いたい気持ちになります。
市職員は、要請を受けてさらに明日も石巻市に7人の調理隊、2人の職員が派遣されるそうです。朝市役所で、新年度挨拶で行き交う職員さんから聞きました。選挙が終わったら考えよう。

仕事が遅いのがコンプレックスなのですが、今日もまた・・・
市役所で先輩議員と打ち合わせをしたあと、残って仕事の整理をしていると
他の議員さん数人も帰られて、気が付けば残っているのは私ひとり・・・
選挙用書類を揃えながら焦ってしまいました。
こんなに不器用では・・・ボランティアどころでないかな。
昨日の元気はどこへやら。あっという間にどこかへ飛んでいったみたい。
大震災の救援、復興で、市や町の職員もこれから長期にわたって大変だろうと思うと、同じように議会の責任もとても重くなるでしょう。
まずは、まだ整っていない書類などあれこれを準備しなくては。

2011年3月23日水曜日

卒業生半数が進路あきらめざるを得ない中学校も...

今日の「赤旗」記事を読んで、朝から涙がでました。

*沿岸部の中学教員からの手紙(注)
「・・・親も家もなくして、4月から高校進学するのに制服もなく、通学もできず、学習用品もなく、もしかしたら進学をあきらめざるを得ない生徒が卒業生の半数にのぼりそう・・・子どもには、教育と明るい未来が必要・・・」
被災地でこそ、将来のためにも希望する卒業生には、高校進学の保障を!

*福島南相馬市では
「市の大部分が屋内退避地域。その地域の住民の早期避難がすすめられているが、介護が必要な高齢者は移動できず、取り残されている。寝たきりの方の家族は、避難所に連れて行くことができず、退避指示の出ている地域に時折戻って、介護を続けてきた。半径20~30㌔圏内の屋内退避地域の中には、危険にさらされながらも、避難するか残るか自己判断に任されている。行政が責任もって避難指示とすべき。国や県が責任を果たすべき」と。
震災の日が過ぎて、日が経つにつれて、被災の格差が広がっていくようでここが痛みます。

大学卒業後、当時は、重症心身障害児を守る会「仙台つどいの家」、現在は社会福祉法人「つどいの家」の最初の職員として、働らかせてもらいました。名前のとおり、重い障がいがあっても地域で生活することにこだわりつづけ、親子がつどい、どんな地域の人たちも受け入れるまさにいろんな人が集う「つどいの家」でした。施設ではなにもかも手づくりでしたが、今は施設をたくさん運営する立派な施設になっています。

その「つどいの家」が、大震災で被災。開所できない施設があり、利用者の方は困っています。
是非多くのみなさん 「つどいの家」を応援してください!
詳しくは、ホームページをご覧ください。



(注)この日記を書いた当初、手紙を書かれた方が二戸市の中学校教員だと勘違いしていました。ブログをご覧になった方から「二戸ではないのでは」とのコメントを23日にいただいていたのですが、訂正が今日になってしまいました。ご指摘に感謝するとともに、ご不安をもたらしてしまったことにお詫び申し上げます。

2011年3月20日日曜日

東日本大震災被災地での子どもたちにも思いを馳せて

市内保育所の終了式が16日、幼稚園卒園式は17日、小学校卒業式18日と続きました。
特に今年の卒業式は、目の前の立派な子どもたちの姿に胸があつくなり、涙があふれました。

被災地では、卒業を迎えるはずの同じような子どもたちがランドセルを残したまま行方不明だとTVで報道されていました。残された家族はどんなにか悔しいことでしょう・・・

潮見小学校の卒業式では、卒業生のメッセージのなかで、何人か将来の夢をいいました。
I want to be...  I want to be...
きっと被災地での卒業式に同じように参加するはずだった6年生も
将来なりたい夢があったはず。

2~3日前から、陽光町復興住宅の後援会員さんを支部の方と一緒に訪ねています。
「今回の地震は、私らの震災を思い出して、なんや気がおもくなるわ~」
「被災者の人たちは、今まだハイの状態やわ。これからが大変。みんな元に戻っていくやろ。うちらもかなり大変なときあって、復興の差が出てきたらなんでうちらだけ・・・って思うんよ。そこから落ち込んできて、現実が見えてくる」
「もう日本あかんね」という人もあれば、「大丈夫、日本人は何もない戦後から今の日本をつくってきたのだから、必ずようなる」という人もいる。

さまざまな意見に出会います。
でもこうして復興住宅をたずねることで、当時の大変さと知恵とさらに、今の暮らしの大変さをうかがうことができ貴重な活動です。
私は神戸北区での震災で、ひよどり台や藤原台の仮設住宅訪問の活動はしてきましたが、芦屋の実態は見聞きするぐらいです。

今回のような巨大地震、津波、福島原発事故の影響は環境、人、経済などでどれほどの規模になるのでしょう・・・
被災地の実態にあわせた救援・支援の活動が的確に進むよう願いながら、昨日は市会議員会派超えての芦屋市議会議員団、事務局とで、JR芦屋ぺデストリィアンデッキで救援義援金の募金活動を行い参加しました。

2011年3月17日木曜日

仙台のみんなは元気でした!

仙台つどいの家で働いていた時お世話になった施設長さんはじめ、利用されていた方やボランティアの方々に、夜ようやく電話がつながりました。みなさん無事で本当に良かった!

娘さんが入所されている施設が被災し、ちょうど今日娘さんと家に帰ってきたところだと近況を話してくださったなつかしい声のAさん。利用者のNさんともお話ができ、涙がでました。

30年ぶりだよ~と明るい声で当時の元気はそのままのボランティアのHさん。

少し早口で勢いのある元気な施設長さんは、地震当日から毎日法人の施設数箇所をまわっていらっしゃったそうで、さっきまで、京都から物資を運んでくれた同じような施設の職員のボランティアさんと一緒だったとのこと。夜10時過ぎ、ようやくおうちに戻ったところに私が電話をしたというタイミングでした。
阪神淡路大震災の時には、電話を頂き励まされました。そのお礼とこの大震災のお見舞いをと思ったのですが、物資不足もあるがなんとしても施設再建の費用を支援してほしいということでした。
4月にオープンする施設のために募金活動をしていたところに、大震災で現在利用している二つの施設が使えなくなり、さらに資金が必要になったと。

被災地では、何もかもが不足しています。
いのちを守る救援物資と義援金をはやく被災地に届けないと、助かった命の保障さえなくなってしまう・・・
原発事故による被爆の状況が最悪だという報道をみて、今日の雨や雪にふくまれている放射能の影響が深刻なことになるのではないかと恐ろしくなります。
地球規模の大災害だもの、国の責任でなんとかさせないと・・・


2011年3月16日水曜日

今年度最後「たまてばこ」の読み聞かせ

今年もたくさんの子どもたちと絵本を楽しむことができました。
年明けてからは、1年生から5年生までずっと同じ絵本です。
「つるにょうぼう」 
矢川 澄子 再話  赤羽 末吉 画
福音館書店 

雪の降った日の読み聞かせには、ぴったりでした。

「雪ふかい山里のはなしです。よ平という、まずしいひとり暮らしの若者がありました。・・・」
開いた最初のページには、雪のなかにぼんやりと浮かぶよ平と つばさに矢をうけてくるしそうにしている一羽の鶴が描かれています。
トーンを落とした声で、情景がイメージできるようにゆっくりとよみます。
ここで、子どもたちの目が絵本にくぎ付けになれば、その先はしめたもの。
声に出して読むといっそう日本語の美しさが感じられる絵本でした。

最後のクラスは、5年2組。
お話の前に子どもたちにこれまでの感謝と思いを伝えました。
絵本をみたり、よんでもらったりしながら、うんと絵本の世界で想像することを楽しんでね

目の前の子どもたちの姿と今の大災害に会ってしまった子どもたちの姿を重ねながら、10分という時間を大切にしなくてはとゆっくりと読みました。

今朝八戸の友人と電話でつながり、無事が確認でき安心しました。
ほかにみんな、無事で避難していますように・・・

2011年3月13日日曜日

なつかしい仙台、多賀城の町が大地震で壊れてしまう...

世界最大の大地震でこのブログを再開するとは思ってもいませんでした。
でも、こうなったら更新しかありません。
なつかしい仙台や塩釜、多賀城、荒浜海岸が大地震の揺れと津波で変わり果ててしまったのですから...
テレビの画面に次々と映し出されていくなつかしい小学校や体育館の名前がきこえてくると、知っている人が写るだろううかとじっと見入ってしまいます。
もし知り合いが写っていたとしても、仙台を離れて25年、分かるはずもないのですが...それでも、テレビの画面に写る避難所や津波で押し流された材木や車、家のがれきや泥だらけの建物をみると胸が張り裂けそうです。

仙台の福祉大だったので、先輩や友人が仙台や塩釜、多賀城、福島にたくさんいるんです。
障害者の施設で働いていたので、当時の利用者さんの顔が思い出されてどうしているかと気がかりです。でも、電話はつながらず、友人や知人にはまだ連絡がつきません。無事でいてほしい...祈ってます。
実家の弘前もかなり揺れたようです。78歳の母は一人暮らしです。強い余震が恐く、お向かいのお家で 1日過ごしたようです。電気はきのう復旧し、夜も明るくなってほっとしたと言ってました。20数年前の宮城沖地震を仙台で体験している青森の姉も強い余震が恐しいと夜起きて、夜が明けて明るくなったら安心して眠れると言ってました。
妹家族は習志野、妹の子どもはひたちなかで一人暮らし...
広範囲で起きた地震だけに、家族親戚それぞれ無事を確認するのに2日間かかりました。幸いみんな連絡がとれてほっとしましたが、妹のところは、家の前に地割れができたと怖がっていました。

一瞬で、町も人ものみこんでしまう津波ってほんとに恐ろしい...
さらに大規模火災と原発事故による被爆という はかりしれないほどの被害です。
 昨日から、友だちからたくさんのお見舞いメールが届き、今何したらいい?と言ってもらってます。私自身すぐにでも仙台にとんでいき、働いていた施設で何か役立ちたいと思うのですが今はできません。救援の募金行動を始めました。昨日は党主催の潮見つどいで約1万9千円、今日は党と後援会のみなさんとJR芦屋南口で約6万円。昨日もJR芦屋北側で木野下議員、平野前議員と後援会の皆さんとで訴え、約6万円以上の募金がありたくさんのご協力をいただいたとのこと。本当に感謝します。しっかり被災地に届くようにしていきます。
日本共産党は地震当日すぐに対策本部を立ち上げて、被災地にむけて調査に行き、全国各地で救援募金活動を始めています。1分でもはやく、1人でも多くの人の救援を祈りながら...
引き続き、被災者の皆さんへの救援募金に 是非ご協力ください。

2010年6月7日月曜日

明日の絵本は「からすたろう」です

 潮見小学校での絵本読みきかせボランティアも5年目を迎えました。我が子は3月に卒業して今はいませんが、子ども達と絵本を楽しむのが心地良くて続けさせてもらっています。

 先月は「てんぐのかくれみの」を4年生に、明日は5年1組で「からすたろう」八島太郎文・絵(偕成社)
 明日の子ども達には、どんなふうに受け止めてくれるのでしょうか。ここ芦屋浜のからすと絵本の山のからすでは、湿気のある鳴き声もきっとちがうよね〜と想像しながら、明日に備えときましょう。

 おとといの晩から夏風邪で高熱を出していた三男は、薬であっという間に治り、長女が夕方からダウン。夕方から元気を盛り返した三男は、私の背中やお腹をサンドバッグ代わりにパンチの連打。(確かにいい音はしますが...)ならばと、久しぶりに一緒に臨港線をジョギングしました。
 4人どの子とも小学5〜6年か中1あたりで一緒に走ってきました。運動会前やロードレースの練習で走るのにつき合ったり、私の気まぐれジョギングについてきたり...でもたいていは私がすぐ息が切れて、先を走る子どもの姿をやっとのことで追いかけるのがオチです。「息切れるのはやいやろ〜」「先いくで〜」と言ってどの子もタッタと走っていく速さがとっても頼もしく、「4人みんな自分の先を走っていくな〜」とつくづく思うのです。

 夫はいつからか朝に晩にジョギングを始め、体重が10㌔減ったとか。今や私だけが運動不足の毎日で、かなりヤバい感じ!でも議会が始まったらさらにやばいかも。

2010年6月4日金曜日

学習会「日米安保条約と日本経済」

 午後、山手後援会主催の学習会でした。林 直道大阪市立大学名誉教授の90分授業は勉強になりました。
1、新安保条約はなぜつくられたか
2、なぜ経済協力条項が入っているのか?アメリカの狙い
3、日本、高度経済成長→反共経済援助激増
4、アメリカの衰退、ドル危機、日本大損害
5、日米経済対立激化、日本バッシング始まる
6、日本経済のバブルを促進
7、クリントンの「日米包括経済協議」
8、小泉内閣による対米迎合総仕上げ
9、日本の財界はこんな仕打ちをされてどうおもっているのか?
10、新しい日本経済繁栄の道

 レジメの項目をもてもわかるように多岐にわたる内容と資料、しかもエピソード盛りだくさんの話には一回限りではもったいない。シリーズでゆっくり受けたい授業という内容でした。
「サブプライムローン破綻の金融危機が世界大不況へひろまった現在、日米経済関係はかなり縮小した。日米貿易は、最盛期の49%、日本がアメリカへの奴隷を断ち切る好機到来。東アジア経済共同体を結成すべき」という言葉には希望を感じましたね。
 北朝鮮がせめて来たらどうするとか、やっぱりアメリカに守ってもらわないと困るとか、沖縄の人には申し訳ないけど基地は必要などなど、この間訪問して言われる意見が多いのですが、「そんなことはない。日本が安保はもう要らないといえばなくすことが出来るし、日本がアジアの平和のために友好条約のために率先して動いていけばいい」と話していくことが必要と思いました。
 林先生は80歳を超えていらっしゃいましたが、なんのなんのマイクをもって、90分しゃべりっぱなしでも疲れを感じさせません。お見事!
 今日午前には議員むけの6月議会に出される議案の説明がありました。民主党政権での国の予算補正が地方に及ぶ内容になります。子ども手当の税源を6歳未満や16歳以上19歳未満の子どもがいる家庭にされていた扶養控除廃止でつくるようなやり方では、結局国民は負担増に。福祉センター関係など民生文教委員会にかかる議案がたくさん出ています。明日夕方の説明会に是非お越しください。ご意見をお待ちしています。

 そして、いよいよ一般質問の通告期限14日も迫ってきました。今回も身近で切実な要求実現のためのテーマを選んでいます。毎日の暮らしの中で、頭を切り替えながら仕事、家事、子どもとのつきあいなどやってるつもりですが、議会になると頭がいっぱいで、どれもこれも中途半端に。睡魔に負け、自分に負けそうになりながら今回もやってしまいそう...

2010年6月2日水曜日

鳩山首相が辞任で夕方宣伝へ

ついに鳩山首相が「責任をとって辞める」と。
 沖縄の米軍普天間基地問題を結局は自公政権と同じ辺野古に戻し、さらに、徳之島や国内の基地に移転や拡大するようなやり方には、沖縄県民も怒り爆発、国民は許しません。
 お昼からの娘の高校の系統別学習の説明会に行った後、夕方木野下議員とJR芦屋で宣伝をしました。普段はそれほどビラの受け取りも良い方ではないのですが、さすがに今日は、どの世代とも良く受け取ってくれました。引き続き明日は、団の朝立ち宣伝。志位委員長の迫力ある夕方の街頭訴えをパソコンで聴き、明日の準備をしてと...

 そうそう...高校説明会に一緒に行った娘の友人のお母さんと電車では、ひたすら鳩山首相や民主党への失望と批判の話でした。
彼女曰く「一体この数年で、何人の首相がおったん?」「結局、政治は誰のためなん?国民のために何してくれるん?」と。
私「高校の授業料は無償化されても、結局その他結構物入りで、既に4月と5月で軽く15万は超えたよ〜」「入学してまだ2ヶ月なのに進路のコースを決めなあかん。早くコースを決めて、授業をどれにするかなんて...うちの子決めてるようでもまだはっきりしないわ...」

 入学したとたん、卒業後の進路決定を迫られます。高卒、大卒後の就職がホントに厳しい中で、自分のペースで経験し、余裕もって学ぶことも難しくなっているのです。これからを生きる若者が、ちゃんと希望の仕事に就いて、働らいて生きていける社会を実現させていかないと!そう、だから日本の政治を良くしていかないとね!

2010年5月7日金曜日

ふつうの晩ご飯が食べたい!って...

食べ盛りの次男が就職して寮に入ってからは、食事を作っても何かとご飯やおかずが残ってしまいます。で、忙しいのと面倒くさくなって、外食やオムライス、カレーライス、そうめん、お店のお惣菜と手抜きメニューをしていたら、
娘「ふつうの晩ご飯がたべたい!」
とブーイングが...


今晩のメニューは:
 冷凍ご飯を解凍して
 サバ塩焼きと大根おろし
 もやしと小松菜ときゅうりのサラダ
 なすびと厚揚げと人参のごま油炒め
 青森しじみと沖縄もずくのみそ汁

そういえば、昼も市役所の食堂でサバを食べたな〜と思いながら、久しぶりに早めの7時の夕食。今日はどれも国産品で、よしよし...良かったって感じ。そういえば、新婦人で購入しているお米にはいつもニュースが入っていて、今回の内容には思わず納得!

食育の学習会で
講師「人体でどこが一番大事?」と質問すると、「脳」、
「どこが一番にできた臓器?」に「心臓」と答える人が大半です。胎児の発生は内胚葉の「腸」から始まり、腸が人体の基礎で、脳は末端のはず。
脳は血液で動き、血液は食物からでき、食物は腸で消化、吸収されています。食物は血液の材料で、人体の良し悪しの原因は食物の良し悪し、食べ物、食べ方、睡眠、運動、ストレスは大便の状態に現れます。「大便は体がくれる大きなお便り」「病気は悪でなく、体からの手紙」このことに気づくのも食育の目標です。食育を栄養バランスだけで説くと、サプリメントに道をつけるお先棒担ぎになりかねません。
....腸と腸内細菌に気を配る食べ方、土中の細菌群に「よろしく」という農業、それらに気づく教育が一体になっているのが食農教育ではないでしょうか。
食べのもの通信3月より


我が家は、子ども4人ともアレルギー体質で、アトピー性皮膚炎、おまけに三男は卵のアナフィラキシーで、どの子も保育所時代は、保育所の食物日誌と診察や診断書、食事や医療費、毎日お風呂前の消毒や漢方入浴剤作りに4人分の夜中のかゆいかゆい...で子どもも私たちも睡眠不足で大変でした。当時、夕飯後はみんな殺気立っていたかも。

長男次男の治療は皮膚科が主でしたが、3番目の長女の時腹を据えて治してあげようと病院を転々とし、やっと出会った小児科の先生は、皮膚の湿疹は腸のただれだと教えてくれました。

いつの間にか子どもも大きくなり、添加物いっぱいの食品も外食も食べるようになりましたが、疲れたり私の手抜き食事が続くと湿疹が出てきます。体って正直ですよね!

国産の安全な食品を子ども達が食べ続けられるよう、日本の農業をしっかり守っていかないと! 自給率4割でどうするのかってことですよね!

今日午前は、市役所で書類整理。午後は、6/19(土)潮見集会所ほっとすぺーす潮見「おやこフリーマーケット」の打ち合わせを6人でにぎやかに我が家で。夜は、電話で相談(離婚問題)。 

2010年5月4日火曜日

花には太陽を!子どもらには平和を!

ふりそそげ春の日 育ちゆく青草
美しいふるさとに 二度といくさを許すな
花には太陽を 子どもらには平和を

貧しいくらしにも 負けない子どもらの
幸祈るその胸に 思いおこそう広島を
花には太陽を 子どもらには平和を

苦しい毎日を 耐えぬいた私ら
命を生み育てる 世界の母の願いは
花には太陽を 子どもらには平和を

(新宿合唱団作詞、木下そんき作曲)

夙川の鯉のぼりを見て思い出しました。
大学1年生の5月、うたごえサークルに入って、初めて地域で活動したのが「子どもまつり」。
仙台市郊外のみかみね公園には一日中、子ども達の遊ぶ声でにぎわっていました。桜の木や緑いっぱいの小高い丘には、古タイヤや日曜大工の残りのような木片を置いて、自由に遊ベるように準備したのは、市内新婦人のお母さんたちや地域文庫の会の方々でした。
おまけに、うたごえサークルやセツルメントの元気なお兄さんお姉さんたちもいたりして。
子ども達は一緒に歌って、鬼ごっこして、めいいっぱいあそぶというなんとものどかなこどもの日らしい「子どもまつり」。
その時のスローガンが「花には太陽を!子どもらには平和を!」。
その時歌って覚えたのが、この歌でした。

今日鳩山首相は、沖縄普天間基地を近くの小学校の屋上で見て説明を聞きながら何を考えたのでしょうか。米軍基地の県外国外移設の公約を破って、新たな基地建設を辺野古や徳之島につくる...沖縄県民も本土の国民もそれはノー!だと言っているのに。市民との対話集会で宜野湾市長は首相に「沖縄県民ではなくアメリカの方を向いている」と痛烈な言葉で挨拶をしていました。

自然豊かな海、その命育む沖縄の海を守る!
これ以上沖縄がなぜ犠牲にならなければならないのか!
沖縄の人々の叫びがテレビ画面から伝わりました。

明日は子どもの日。
毎年夙川にかかる鯉のぼりですが、特に今年は元気よく泳いでいました。
私たちが育ち、子どもたちが生きていくこの先の社会の平和は、大人たちがずっと守り続けてきたものだと実感した一日でした。

2010年4月25日日曜日

2010年春!

今日は4月25日の日曜日。
芦屋母親大会が市民センターでありました。

会場は、野菜のイラストでいっぱいで、とってもあったかくて、オープニングのマリンバとパーカッションの3人グループ「たんと・マレット」はとっても素敵! やさしい音色と切れのいいリズムが胸にまだ残っています。
講演「港から見た食と農」深刻な自給率低下と広がる食品汚染。柳澤尚氏のお話は良かった! 帰りのお買い物では、思わずビールを手に取り、遺伝子組み換えのトウモロコシでできているコーンスターチは入っていない、麦芽100%のビールを購入することに。

写真は、3月議会報告の市議団ニュースと後援会ニュース。全戸配布中です。ご意見をお待ちしています。


去年の秋に弘前の父を亡くして以来、葬式の後すぐに決算特別委員会、行革委員会、12月議会、3月議会と議会関係が続き、その間にも次男と長女と三男のイベントが次々に... 就職試験、高校受験、3人の卒業式... 4月には2人の入学と次男社員寮に引っ越して入社、長男突然の引っ越しなどなど... あまりにもいろんなことが起きて、さすがの私もダウンでした。

ということで、更新できなかった言い訳をしたところで、やっと今日久しぶりに更新! 後援会ニュースに載せていただいた記事を紹介して、今日のところはおしまい。

亡き父を想いながら...

昨年の10月故郷の父が79歳で他界した。三人姉妹の妹が3歳の時、難聴とわかり、以後父はりんご農家を止めて、小・中学校にきこえの教室開設など障害者運動や調停委員など「人権保障」の仕事をした。

「津軽の呑百姓がよぐこごまでやったもんだ。我が人生に悔いなしだべさ」「羅針盤もって生きろ」...帰郷した娘達によく熱弁を振るった。

晩年、認知症などの病気を患い、「人間らしく生きる」ことに信念を貫いてきた父だが、高齢者への医療や福祉施設、理解がまだまだの土地では、それとはおよそ反対の生活を過ごさねばならなかった。闘病4年で自ら最後の幕を引くように79年間の人生を終えた。

いま芦屋市は、地域福祉計画、子育て応援プラン、福祉センターなどの整備を進めている。その計画が市民の暮らしをより良いものにしてくれないと意味がない。一人ひとりの人生に思いを馳せながら、「人間らしく生きていける」社会を目指していきましょう。